◆秘術-9-◆

「いえ……大丈夫です。帰ります」
そう言って、私は重い身体を持ち上げる。
立ち上がると、まだ少しふらふらとするものの、倒れるほどの疲れでは無かった。
「そうか。送っていこう」
ピサロさんがマントを翻して歩き出す。私も一歩踏み出して、ふと気づいた。
「あ、あの。ピサロさん」
「何だ」
「服……返していただけませんか」

そうだ。私が今纏っている、どす黒いローブ……死の臭いがするこの服。
理由は判らないものの嫌に気分が悪い。身体中に死の空気が纏わりつくようだ。

「そうか? せっかくこの秘術のために用意した最高級のローブなのだが。神官様にはお気に召さなかったか」
ピサロさんが無邪気に笑う。
その笑顔を見ると、やはり混乱する。
魔族の王……? それは、本当に悪なのだろうか、と。

「ほら」
メイさんお手製の、薄く青みがかった服が手渡される。
「まったく、せっかく多くの死者の血で染め上げたローブだというのに」
「え、ええ?」
びっくりして、思わず袖のあたりを見つめる。薄暗い部屋では判らないが、この黒は、血の色……?
「逃げられぬ恐怖を与え、生にしがみ付き、無念の中じわじわと苦痛に蝕まれていく、その血を何人分も
たっぷりと吸ったそのローブは、滅多に出ない最高級の……」
「も、もう結構です。私には必要ありません」
饒舌に語るピサロさんの言葉を思わず遮る。ピサロさんは少し不満げだ。
「ふん。いいからとっとと着替えろ」

「……」
「どうした。早く着替えろ」
「は、はい」

私は少し下がった。ピサロさんは腕組みをして、いらいらとした様子で身体を揺する。
「何をしている。さっさとせんか」
「あ、あの。着替えたいんです」
「判っている。早くしろ」
「……その……後ろ、向いていただけませんか」

魔族の性別が、人間のそれと同じものなのかは判らない。
ただピサロさんは、ロザリーさんのことを「私の女」と言った。
そうであれば、あまり変わりは無いのかもしれない。
だから、こういう思いが正しいのかどうかは判らないけれど……男同士、でも、着替えをじっと見られるという
ことには、少しの抵抗がある。

「別に構わんだろうが」
「で、でも……」
「そもそも着替えさせたのは私だ。男の裸なんぞ二度も見たところで面白くも無い」
「面白く無いなら、わざわざ見なくてもいいでしょう」

面倒臭い奴だな、そう呟いてピサロさんは後ろを向いた。

急いで、死の臭いを湛えたローブを脱ぎ、さらさらとした肌触りの服に着替える。
メイさんの温もりが私を包んで、ほっと安心感を与えてくれる。
触れるのに一瞬躊躇ったものの、脱ぎ捨てたローブを軽く畳んだ。
「……これ、お返しします」
私の声に、ピサロさんが振り向く。ふん、と、面白くなさそうな小さな声を立てて、私の手からローブを奪い
取った。



薄暗く、湿った狭い螺旋階段を上る。
どのくらい上っただろう、上のほうから、何か足音が聞こえた。
「これは、デスピサロ様」
ピサロさんに深々とお辞儀をするその姿は、魔物と人間の中間のような、いや、人間に居るといえば居るだろうか……そんな不思議な容姿をしていた。
身に纏っているのは、どこか別の神に仕える者の法衣だろうか。何となく、そんな気がした。
「……その者は?」
私を指すその指に長く伸びる爪、それは到底人間のものでは無く、魔物が持つ黒々とした鋭い爪だ。
よく見れば、ピサロさんのように耳もすらりと長いものだった。
「ああ、人間ではあるが、我ら魔族に力を貸す堕ちた神官だ」

その言葉に、ぞくっと寒気がした。
魔族に──力を、貸す。
自らの幸せのためだけに、人間の未来を売り渡してしまった……。

「何とまあ、良い心がけですな。どうだ神官、貴様もワシらの神に改宗せんか?」
「ひっ……」
その長い爪を湛えた指で、くいっと顎を持ち上げられる。
本能的な恐怖に、小さな悲鳴が漏れた。
「エビル、やめておけ。こやつからは必要な力は全て渡して貰った。この程度の人間をわざわざ味方につける必要は無い」
この程度……その言葉に、ほんの一瞬だけ、少し悲しくなった。
心のどこかで、私は、ピサロさんに認められているのではないか……そんな間違った希望を持っていたの
だろう。
最初に出会ったときから、ピサロさんは、私のことなど眼中に無かった。



「……そうだ、エビルプリースト」
「なんでしょうか、デスピサロ様」
ピサロさんの表情が、険しくなる。ぞっとするような冷たい空気。ああ、これが魔族の王としての存在感なのだろうか……?
「貴様の手下に、カメレオンマンというのが居ただろう?」
「おお、そういえばおりましたな。エンドール周辺を任せておりましたが、その後は……」
エビルプリースト、と呼ばれた魔物は、難しい顔をして、うーんと唸る。

「行方不明です。一向に消息が判りません」
「……何?」

カメレオンマン、私が黄金の腕輪を渡した、あのずる賢い魔物。
それが、行方不明……?
では、黄金の腕輪の行方は──?

「この神官は、カメレオンマンに黄金の腕輪を渡したそうだが」
ピサロさんの言葉に、エビルプリーストが目を見開く。
「……何と? 本当ですか。ではまさか、持ち逃げを……?」
「あんな小物程度に扱える代物では無い。一体……」
そこまで言って、ピサロさんがふと私の方を向く。
「細かい話は、この神官を送り届けてからにしよう」
ぐいっと、強い力で腕を引っ張られる。苛立っているのだろう。
ピサロさんに付けられた傷や痣は、不思議と治りが遅い。
今掴まれている腕にも、きっと、あのときの──首を絞められたときのような痣が残ってしまうかもしれない。

>>秘術-10-へ
秘術-8-へ<<

短編TOPへ<<
長編TOPへ<<