◆秘術-8-◆ 「それが、お前が憎む者の名だな」 ピサロさんの声に、心臓が早鐘を打つ。全身から嫌な汗が流れ出して、寒気を覚える。 人を、憎む。 それは、愚かで無駄な、人間の欲望。 他人なんて、思い通りになるはずも無いのに……。 怖い。 私がここで、はい、と答えたら、ピサロさんはソロさんに何かをするつもりなのか。 いくらソロさんでも、ピサロさんに敵うとは思えない。 一方は、天空の勇者。 一方は、魔族の王。 それは、まるで光と影──。 「神官よ。恐れるな。人を憎むことは決して愚かなことでは無い。自らの無力、他者の力を認めざるを得ない、その葛藤が憎しみだ。憎しみを持つことが苦しいのならば、その憎しみを私に寄越せば良い。私は、その 憎しみを欲しているのだからな……」 私を抱きしめるその腕に、ぐっと力が入る。 その手で、優しく髪を撫でられる。 不思議な安らぎが私を包んで、鼓動がだんだんと元に戻っていく。 「ピサロさん……」 「何だ」 「……」 何かを、尋ねようとした。 でも、それらは言葉にならない。 「余計なことは考えるな。吐き出してしまえば良い。お前も神官ならば他者の悩みを聞きだし受け止めてやったことがあるだろう。それと同じだ。私はお前の憎しみを全て受け止めてやる。ここには私しか居ない。恥ずかしがることも、人の目を気にすることも必要無い。さあ……」 ふと、ピサロさんが身体を離す。 美しく気高い魔族の王の優しい微笑みが、私のすぐ目の前に在る。 透き通るような白い肌、さらさらとした艶のある髪……そして妖しく光る真紅の瞳。 世の中に、こんなに美しい人が居たのか、と思わせる。 ソロさんも……美しい人だった。 でも……ピサロさんとは、少し、違う。 この気高さは、決して一朝一夕で身に着いたものでは無いのだろう。 「ソロ、といったな。そいつはお前に何をした?」 ざわっ、と、身体中を何か黒い思いが、走り抜ける。 紅い瞳が、私を見つめる。 その光に魅せられて、震える唇が、自らの意思に反して、言葉を紡ぐ。 「わたしを……わたしの、ことを……みくだして……ばかに、して……」 違う。違う。それは私が無力だからだ。ソロさんは私のことを何度も助けてくれたじゃないか。 黙れ、私の中の醜い心よ──! 「ひめさま……を……わたし、から……うばっ……」 何を言ってるんだ。元々姫様は私のものなどでは無い。一方的に想いを寄せていただけだ。私は姫様をお守りすることもできなかったじゃないか。私は必死に、言葉を飲み込む。 「言え。言ってしまえ。そうすれば楽になれる。醜い思いを抱くことに悩むことも無くなる。憎しみは全て吐き出してしまえ……」 ピサロさんはそう言って私の身体を力強く抱きしめる。 この醜い思いが怖くて、心が、身体が、どうかなってしまいそうで、私もピサロさんの身体にしがみつく。 「帰りたい……! 戻りたい……!」 それは……何処に? 何時に? 母と暮らしていたあのときなのか。 姫様と出会ったあのときなのか。 はっきりとは、判らない。 ただひとつ……ソロさんと、出会う前に。 それでも、もう、戻ることなんてできない。 私に、今の私にできることは、私を愛してくれる人の想いを受け入れ、これからを幸せに生きること。 そのために、私は、ここで憎しみを、醜い思いを捨て、過去を乗り越えなければならない。 姫様にも、ソロさんにも、もう二度と出会うことは無いだろう。 それならば、いつまでもこんな悲しい思いを抱き続けなくてもいい。 ……ここで、捨ててしまえばいい。 私は、これから、幸せになるんだ。 あなたが、居なければ。 あなたに、出会っていなければ。 そうだ、ソロさんに出会ってから、全てが狂い始めたんだ。 いや、母が私を捨てたときから……。 そんな醜い自分勝手な憎しみを、泣き叫びながら吐き出し続ける。 自分でも驚くほどの汚い言葉が生まれてくる。 ピサロさんはただじっと私を抱きしめながら、全てを受け止めてくれる。 ああ、メイさんも、こんな感じだったな……。 どこか冷静に、醜い自分を見つめる自分が居るような気がする。 「はぁっ……はぁっ……」 ぐったりと、全身から力が抜ける。ぼんやりとした頭の中は、もう、からっぽだ。 ピサロさんにしがみつく腕の力も徐々に抜けて、その場に座り込む。 そんな私の腕から、ピサロさんはそっと黄金の腕輪を外した。 ふと視界に入ったその腕輪──確かに、何も刻まれていないはずのその腕輪には、あのときに見たような 不思議な文字が刻まれていた。 「成功だな。神官よ、お前の呪いは全てこの腕輪の元へと返った」 「……」 「お前の、憎しみの心と共にな」 妖しく光るその腕輪を眺めては、ピサロさんは満足げな笑顔を浮かべる。 ──人々の未来を奪う腕輪。 渡してしまって、本当に良いのか。そんな思いがふと蘇って、無意識にピサロさんの服を掴む。 「何だ?」 「……」 ……敵うはずなんて無い。何度か対峙したピサロさんには、一方的に力の差を見せ付けられただけだった。 「いえ……何でもありません……」 「そうか。疲れただろう? 少し休んでいくか?」 その笑顔は屈託の無い、一緒に酒を飲んだときのあの表情。 ああ、やっぱり、判らない。 この方を理解することは、一生かかっても無理なんだろう。そう思った。 |
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