◆秘術-7-◆

私の返事を待つピサロさんの表情が、やけに無邪気に見える。
やはり、似ている。ソロさんに……。

「取引……とは言っても……私に、選択肢は無いのでしょう?」
ここがどこなのかも判らない、どう見てもピサロさんの手の中にある私の今の状況。私がそんな取引お断りだ、と言っても、きっとどうにもならない。
それでも、私は、少し、抗ってみたかった。
ピサロさんが本当に悪なのか、この疑問を少しでも解消してみたかった。

「そうだ。よく判ってるな。やはり、お前は賢いな」
ピサロさんの答えは、誤魔化しも何も無い、酷く素直なものだ。
「お前が断れば、私はお前を連れて、お前の目の前で、あの街を焼き払おう。ワインはちょっと惜しいがな。
その次はそうだな、ちょっと大人しくして貰っているあの城の隣の街あたりを。いつまで、お前は耐えられるのか楽しみだ」
……大人しく、というのがおそらくはサントハイム……それなら、隣の街というのは、サランのことか。

「どちらにしても、人間に未来は無い、そういうことですか」
「まあそういうことだ。私の女を辱めた罪を苦しみながら悔いるがいい」
「では、やはり取引では無いですよ……」
「そうか? 少なくともお前の周りだけは守ってやるぞ」

何だか、ピサロさんのことを知ろうとすればするほど、判らなくなってくるような気がする。
あの武術大会で、何の躊躇いも無く、相手を殺していた人なのに。
自分が子供の頃、道を進む蟻の列を、無意味に踏んづけていた記憶に似ているような……。



「お前は、幸せになりたくないのか?」
「えっ」
「どうせお前はこのままでは老いて寿命が来るまで苦しみ続けるだけだ。それならいっそ、目先の幸せに縋ってみようとは思わないか?」

あまりに直球すぎるその言葉に、はっと気づく。
家を出るときには、自分が幸せになればそれでいい、そう思っていたはずなのに、その代償があまりに大きすぎて、決心がつかなかった。

たまには、いいじゃないか、自分の願いを最優先に考えたって……。
そう、決めてきたじゃないか……。
その思いに気づくと、急に、頭の中がぼうっとしてくる。
今まで難しく考えていたことが一気に吹き飛んで、真っ白になる。



「……しあわせに……なりたい、です……」
それは、私の答え。ずっと長い間願っていた、私の答え。
ずっしりと重かったどす黒いローブが、何か、ふと軽くなったような気がする。
「そうだろう。誰でもそういう思いはある。恥じることは無い。当然の願いだ」
「……はい……」

死の臭いが、消えた。いや、鼻が慣れただけだろうか。あの酒がまだ残っているのか、ふわふわとした感覚がする。
ふと、左手に通された真新しい腕輪を見れば、先刻まで無かったはずの傷が少し見えた。

「交渉成立だ。いいな?」

目の前に、美しき悪の顔。
その悪の冷たい掌が、私の頬を撫でる。
もう、何だか、判らない。でも、この人に、縋ってみたい、その思いだけは、鮮明だった。



「……はい」



私のその返事を聞くと、ピサロさんは私の身体をぎゅっと抱きしめた。
ずっと、冷たいと思っていたその身体は、嫌に温かい。
そうだ、ずっと求めていた、人の温もりそのものだ。
思わず、私も、ピサロさんの背に腕を回す。

「……たすけて、ください……」

もう、縋るしか、無い。
この人に、縋るしか、無いんだ……。



「震えているな。私が、怖いか?」
「いえ……」
魔族の王の胸の中にいるというのに、不思議と恐怖は感じない。
それどころか、安らぎすら感じる。
そういえば、さっき、ピサロさんは魔族は人間と共に暮らしてきたと言っていた。
そんな太古の記憶なのだろうか……?

「ここで、憎しみを全て吐き出せ。お前が憎んでいる者は、誰だ?」
「……」

憎んでいる人。
私の人生を、心を、めちゃくちゃに壊した愛しい人──?



あの寒さが蘇る。
追っていればよかった。あのとき、いい子で待っていて、そんな言葉に惑わされなければよかった。

……ふと気づけば、私は、あのときの光景の中に佇んでいた……。



私に背を向ける、愛しい人。
私はその後姿を追いかける。
その人は誰かと手を取り合って微笑む。



「クリフト」

聞き覚えのある、美しい声。

「あなたは」

これは……。

「要らない」



姫様の、御姿だった──。



姫様と手を握り合う男の姿。
私に向けられるのは嘲笑。
まるで、惨めに必死に醜く這い蹲って生きてきた私を嘲笑うかのように。



「ソロ……さん……」

私が思わず口にした名。この世界を救う勇者の名。
その名を聞いて、ピサロさんがふと微笑みを浮かべた──。

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