◆秘術-10-◆

外は真っ暗だった。
月の明かりも、星の瞬きも見えない。

次第に慣れてきた目に映るのは、不気味な石造りの城。
ところどころに焚かれた篝火の傍で、人では無い影がゆらゆらと揺れる。

「さて、送ってやるぞ」
そう言うとピサロさんは、私の身体をひょいと小脇に抱えた。
えっ、と思った一瞬に、ピサロさんと私の身体は勢い良く宙に舞い上がる。
ルーラの呪文だった。



「……い、いきなりルーラは、止めていただけませんか……」
舞い上がったときの勢いとは正反対に、ふわりと優しく地面に降り立つ。
ルーラは上昇時にはかなりの勢いがある。それなりに心構えをしていないと、身体を痛めたり気分が悪く
なったりするものだ。
「そうか。悪かったな」
ピサロさんは小馬鹿にしたような笑いで、私の額をちょんと小突く。
「お前には感謝している」

すっ、と、ピサロさんが胸に手を当て、軽く頭を下げた。それはあまりに儀礼的で、本当に心から感謝を表しているものでは無いことは判ったけれど、それでも魔族の王が私に対して頭を下げるという行為に驚き、声すら
発することができなかった。

「ああそうだ。礼に、これをやろう」
ごそごそと服のポケットを探るピサロさんの手に、小さな瓶のようなものがひとつ握られた。
それを一瞬確かめると、私の右手にそっと握らせた。
「……何、ですか? これ……」

それは、小さな砂時計。
きらきらと光る少量の砂が流れる。眺めていると、何か時の流れを忘れてしまうような魅力があった。
「時の砂、というそうだ。腕輪を探しているときに見つけたものだ。面白そうだと思って持ち帰ったが……」
最後の砂が落ちる。私はピサロさんの話を聞きながら、無意識にその砂時計をひっくり返した。
「時を戻すことができるそうだ。私には必要の無い物だな。貴様のような後悔の多い者にはぴったりだと思わんか」
そう言ってピサロさんは無邪気な笑い声を上げる。



時を、戻す?
じゃあ、もし、今、これを使ったら……?
ピサロさんに腕輪を渡す前に、戻れるのだろうか……?

いや……願わくば、あの時より前に。



私は手の中で、くるくると時の砂を回す。それでも、時は変わらずに流れ続ける。
「……どうやって、使うのですか?」
「そんなこと知るか」
ばっさりと切り捨てる、ピサロさんの返事。少し不機嫌そうなその受け答えは、おそらく嘘では無く、本当に
心当たりが無いのだろう。
「そ、そうですよね。自分で……」
そう言いかけたところで、遠くから私の名を呼ぶ声が聞こえた。メイさんの声だ。
「ほう」
声のする方向を見たピサロさんが、にやりと笑う。
そういえば、ピサロさんは姫様の姿をご存知だ。姫様と勘違いしているのだろうか。

「あれが、お前の女か。名は?」
「メ、メイさん、です」
「そうか」

それはまるで、初対面のような態度。
……名を聞いた、ということは、姫様と勘違いしていることは無い、ということだろうか?

「まあ、幸せに暮らせ。そのうちまた会おう」
メイさんが近づく前に、ピサロさんはルーラの呪文で去って行った。



「お帰りなさい。今の方は……?」
ピサロさんが飛び去って行った空を、メイさんが見上げる。
先ほどの場所とは異なり、満天の星空だった。
「……私を、助けてくれた……魔族の王、です」

私の言葉に、メイさんが、えっ、と小さい声を上げた。
魔族の王。それは本当に悪なのか。呪いから解放された私の未来は、幸せなものになるのだろうか。






「……で、どうしてここにいるんですか」

そんな出来事から数日後、メイさんと食事に訪れたあの酒場。
何故かカウンターに、ピサロさんの姿があった。

「言っただろう。ここのワインは絶品だな」
嬉しそうにグラスを傾けるピサロさんの姿に、店主は上機嫌だ。
「お前も変わり無く、幸せに暮らしているようだな。まあ良しとしよう」
私とメイさんの姿を交互に見て、ピサロさんは笑顔を見せる。
確かにあれから、私の周りに不幸は起こらない。穏やかで、温かな時が流れるだけだ。メイさんは変わらず
私の傍に居て、無償の愛を与えてくれる。

「一杯どうだ?」
「お断りします」

また何か小細工されていたら堪ったものじゃない。
不機嫌に答える私の姿を見て、メイさんがぷっと吹き出した。


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