◆秘術-5-◆

街に一軒だけの酒場の扉を開ける。
ここには、メイさんとたまに食事に訪れることがある。
旅人も集まる酒場とはいえ、秩序が保たれていて、あまり酒を嗜まない私にも居心地が良かった。

「おや。クリフトさん、今日はおひとりですか? メイちゃんは?」
立派な髭を蓄えた大柄な店主が、いつものカウンターの中で私に声をかける。
見た目は怖いが、気さくで優しい、頼りになる方だ。
「あ、今日は、待ち合わせです。ええと……」
店の中を少し見渡す。
カウンターの一番奥、壁の近くにピサロさんの姿があった。
店主に会釈して、私はピサロさんの元へ向かう。

「お待たせしました」
私の姿をちらりと見て、少しの微笑みを浮かべたピサロさんが、隣の席へ座るよう促す。
壁と、ピサロさんの間に挟まれて、逃げようとしても逃げることができない席。
……おそらく、それも計算のうちなのだろう。

「まあ、飲め」
グラスをひとつ私へ差し出し、ピサロさんがワインを注ぐ。
「あ、あの、お酒は」
「固いことを言うな。神官でも、酒くらい飲めるだろう」
ピサロさんは自らのグラスにもワインを注ぐと、ぐっと美味しそうに飲み干した。
……まるで、赤い液体が、ワインではなく血のように見えてしまう。
「なかなかいい味だ」
ワインのボトルに貼られたラベルを見て、ピサロさんが微笑む。
何だろう。この方は凶悪な人のはずなのに、そんな姿はまるでそのあたりにいる旅人と変わらない。
私もそっと、慣れない酒に、口をつけた。

「お前の呪いを解く方法を見つけた」
ピサロさんが再び自らのグラスにワインを注ぎながら、嬉しそうな顔をした。
……私の呪いを解くことが、ピサロさんにとってどうして嬉しいことなのか。
それを、聞かなければならない。
「ピサロさん。どうして、私の呪いを解いてくださるんですか。あなたにとって、何か得があるのでしょう?」
「まあな」

全く、隠す様子も、誤魔化す様子も無い返事。

「その呪いの力が欲しい。まあ、詳しくは後で話してやろう」
何杯目か判らないワインを、ピサロさんは飲み干す。店主にもう一本、とにこやかに頼む姿がやけに庶民的
で、あまりの釣り合わなさが少し滑稽だ。
「何に使うおつもりなのですか」
「前に言っただろう? 私は人間どもを許さないと」
ぺらぺらと饒舌に、上機嫌に話すその素振りは、武術大会で出会ったあのデスピサロと同じ人とはとても
思えない。違和感を感じながら、私は少しずつ注がれた酒を口に含む。

「大切な人が、殺された、と」
「ああ。そうだ。まあ、貴様らが言う殺された、とは少し違うかもしれんな」
「え?」
皿に盛られたいくつかのチーズを口にしながら、ピサロさんが少し声の調子を落とす。
「肉体は生きている。魂を殺された」
言葉と同時に、今までのふとした人間くさい仕草は消えて、あのときの悪の雰囲気そのままの気配を感じた。
その気配に、私が恐怖を感じているのを察したのか、ピサロさんはふっと笑みを浮かべる。
「馬鹿な人間どもだ。手に入らぬ宝を求めてこの私の女を陵辱するとはな。それなのに、ロザリーは今でも
か細い声で言うんだ、ピサロ様、これ以上人間を恨まないでください、憎まないでください、とな」
「ロザリー……さん、というのですか」
「……そんなことは、どうでもいいだろう」

……もしかして、ロザリーさんを守れなかった自分自身を、憎んでいるのだろうか?
その行き場の無い憎しみを、人間にぶつけているのだろうか。

なかなか減らない私のグラスの中の酒を、ピサロさんが執拗に勧める。
仕方なく一気に流し込むと、ピサロさんがにっこりと笑って、さらに注ぎ足した。



「あの、ピサロさん、お伺いしたいことがあります」
「何だ」
「あなた、何者ですか」



私の問いに、ピサロさんは一瞬動きを止めると、得意げに笑ってワインを飲み干した。



「魔族の王だ。この世界中の頂点に立つものだ」



──魔族の、王……?
それは、一体、どういう……そう、問いかけようとした。

……でも、身体が、熱い。
何だか、ぼんやりとして、瞼が重い。
思わず、ピサロさんの肩に身体を預けた。

「どうした。そんなに酒に弱いのか」
「……?」
「情けない男だ」

それは、信じられない行動だった。
懐かしくて、温かくて、うっとりとしてしまった、あのときと同じ。

ピサロさんが、優しく、私の髪を撫でていた──。



「……」
「どうした。気分でも悪いのか」
「……ねむい……」



……そういえば、最後にお酒を飲んだのなんて、いつだっただろう。
ええと……確か、姫様の誕生パーティのとき、だったかな……。
誰かに勧められて、一杯だけ、飲んだような気がするけど……。
そのときも、こんなふうに眠くなったっけ……?
いや……。そんなはずは……。

もしか、して……。



「……ピサロさん。あなた、なにか、これ……」

最後に見えたのは、美しい魔族の王の気高い微笑み。
不思議と恐怖は感じず、何故か、母の胸に抱かれているような安心感のまま、私の意識は途絶えた。


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