◆月明かりの部屋-3-◆

「あなたを励ますだけの綺麗な言葉なら、いくらでも知っています……」
ぐるぐると、頭の中で言葉が巡る。真実味の無い、美しい、綺麗なだけの言葉が。
それは、自分の想いへの言い訳にも感じる。
「……なぁ、神官さん……」
「……すみません……」

神官という立場で話を聞いているのに、そんなことを無視している私の言葉。
悩める方を前にして、何をしているんだ、私は……。

「ありがとう。神官さんも、頑張れよ」
「……え……?」
「好きな人。いるんだろ。そうでなきゃ、そんなこと言えねえよなぁ」

……救いを求める方に、逆に励まされる。一体、私は……情けない。

「嬉しかったよ。奇麗事だけ口にする神官さんたちは、いくらでもいるんだからなぁ」
「あ、ありがとうございます……」
何だか妙に恥ずかしくなって、私はその場を足早に後にする。
祭壇横の部屋から、教会の二階へ上がった。



──テラスから、何か、透き通るような綺麗な音……竪琴の音だ。
それに合わせるように聞こえる、穏やかなテノールの声……。

愛を囁く、美しい旋律と、言葉。それなのに……これは、何だ。
その美しさとは裏腹に感じる、あまりに淫猥な濡れた声。流れるような旋律は気持ちの悪い波となって
私を襲う。

「……素敵です、マローニ様……」
その声は、ソノラさん。この歌声は、ソノラさんに向けられたもの……?
「いえ……貴女のために……私はこの声が枯れようとも、歌い続けます……」
「マローニ様……」

二つの影が、重なる。
ソノラさん、貴女がそんな美しいだけの言葉に騙されるなんて……。
このすぐ近くで、貴女を心から愛している人がいるというのに……。
思い出す。あの港町で、ソロさんが姫様の髪を撫でていた、あの光景を……!



想いは……通じない。
その想いはいつしか、醜い自分勝手な嫉妬と憎悪に姿を変えて──。
「──!」
耳鳴りが、響く。頭が割れそうだ。その耳鳴りはだんだんと言葉となって私を襲う。
悪の、囁き……。
「ああ……っ……」
苦しい、吐きそうだ。気が狂いそうだ。いや……いっそ、狂ってしまえれば、楽になれるのに……!



──私は、走り出す。
教会を出て、サランの街を抜けて、真っ暗な街の外へ。
数匹の化け物が私に気づいて、ある者は身を隠し、あるものは果敢に向かってくる。
こんな連中、もう私の敵じゃない……!
「……死ね……!」
私は裁きの呪文を唱える。
化け物が事切れるたび、私の身体に快感が走る。
……同時に、悪の心が私に声援を送る。

──もっと、もっとだ。
──凄い、凄い呪文だ。
──頑張れ、お前は凄い奴だ。

それは、私が、ずっと欲しかった言葉……。
直接的な快感と、求めていた賞賛の言葉。
「あはは……」
嬉しくて嬉しくて、笑みが零れる。
もっともっと、もっと裁いてやる、もっと殺してやる。だから、もっと──。



「──クリフト!」
私を呼ぶ声に、はっとして振り向く。
そこには、憎い男の姿……伝説の勇者さまの姿……。

──あいつだ!
──あいつが、お前を苦しめてるんだろ?
──伝説なんて、ただの言い伝えだ。



──やって、しまえ……!
悪の囁きが、一斉にその声を揃える。

その声に、私は印を組んで、裁きの呪文を唱える。



……伝説の勇者さまに向かって……。



私の周りを、黒い靄が包み込む。
その靄はソロさんに向かって、一直線に──。

「……!」

黒い靄が渦を巻き、ソロさんに襲い掛かる。
その、瞬間……不思議な光が、ソロさんを包み込んで、靄がぱあっと弾かれた。

「……な……」
少し乱れた緑の髪の隙間から、力強い透き通る青い瞳が、見えた。
「……言っただろ……こんな呪文、俺には効かねえって……」
ソロさんが、一歩、私に歩み寄る。思わず、私は一歩下がる。
その、繰り返し──。

怖い、怖い。
自分がしてしまった取り返しのつかない愚かな行動と、ソロさんの瞳が。

「──逃げるな、クリフト!」

ソロさんの、大きな声。その声に、私の足がぴたりと止まった。

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