◆月明かりの部屋-2-◆

「クリフトさん、姉さんから私たちのこと、聞きましたよね……?」
ミネアさんと、マーニャさんの、忌まわしい過去。あの話は未だ、私の心に重く圧し掛かる。
「……はい。申し訳ありません……」
「謝る必要なんて、ありませんよ。姉さんが勝手に話しただけですし」

ミネアさんが立ち上がって、ベッドに座る私の隣に腰掛ける。
びっくりして、思わず少し距離をあけた。

「怖いです」
少し引いた私の身体を追って、ミネアさんが呟く。

「バルザック……一度、闘いました。あんな恐ろしい魔物に、勝てるとは思えません。父さんとバルザックが
追い求めていた進化の秘法、その行く末がバルザックのあの姿だとしたら……」

進化の秘法。
そうだ、幾度か耳にした、私を苦しめる呪いに関わる謎の言葉……。

「……進化の秘法、という言葉は、私も幾度か耳にしました。一体、何なのでしょう」
「詳しくは、私も判りません。ただ、ゆっくりと時間をかけて行なわれる進化を、一瞬にして行なう、ということ
しか……」
キングレオ、あの魔物だって、元は人間だったはずだ。それなのに、進化の秘法で……。
あの黄金の腕輪は、進化の秘法に必要なものだったのだろう。
魔物に渡してしまったことは、迂闊だった……。



ミネアさんが、ふと、私に寄りかかる。
「……怖い、です……」
「ミネアさん……」

月明かりだけの暗い部屋、そのベッドの上で、ミネアさんの身体をそっと抱き寄せた。
今度は、私が、ミネアさんの不安を払拭して差し上げたくて……。
……ドキドキ、する。



「大丈夫、です。きっと……」
「はい……」

想いが、通じない、二人。
私は姫様に、ミネアさんはソロさんに。
苦しくて悔しくて、お互いにその傷を舐めあう。



「あ……そろそろ戻らないと、皆さん、心配されますよ……?」
その温もりに酔いしれていた私は、ふとミネアさんを抱きしめていた腕を解く。
月明かりも窓を通り過ぎて、部屋は真っ暗だ。
「……」
それでもミネアさんは私の胸に寄りかかったまま……。
眠って、しまわれたのだろうか。
「……ミネアさん……?」
「……のに……」
「え?」
そっと、何かを呟きながら、ミネアさんが身体を離す。
「何か……」
「いえ……」

少し乱暴に立ち上がったミネアさんが、早足で扉に向かう。
何か、気に障ることを言ってしまっただろうか。
「あの、申し訳ありません、何か……」
「何も……」
それだけ言い残すと、ミネアさんは部屋から去って行った。



……何をやっているんだ、私は。いつもいつもミネアさんに迷惑をかけて……。
こんな暗い部屋で、男と女で、ふたりきり。そんな状況でベッドの上で、その身体を抱くなんて。
しかも、二度目だ。きっと私はミネアさんに軽蔑されてしまったのだろう。
……でも、その方が、楽なのかもしれない。変に同情を受けるより、嫌われてしまった方が──。

きぃん……と、耳鳴り。それはきっと、悪の囁き……。



夜、私は神官服に着替え、教会へ向かった。この身体に巣食う悪の心を浄化するために……。
通いなれた道、それが酷く懐かしくて、一歩ずつゆっくりと進む。

重い扉を、ゆっくりと開ける。
いつもと変わりの無い、薄暗い聖堂……。
その一番前に、何かの影がゆらめいた。
そっと、近づいてみると、目を閉じて一心に祈る、無骨な男の姿。

「……どうか、なさいましたか?」
「だ、誰だ」
「……この教会の、神官です……」

少し警戒した表情を見せていた男は、私の姿をじっと見つめた後、ふう、と大きなため息をついた。

「……神様は、俺の願いを、叶えてくれるかなぁ」
「願い、ですか」
「ああ。なあ、笑わないで聞いてくれるかなぁ、神官さん」
「もちろん」
私は、男の隣に腰掛けた。太い腕、逞しい胸。見るからに強そうなその姿に反して、神に祈る姿は小さく見えた。
「生まれて初めて、好きな女ができたんだ」
「……」

照れくさそうに、でも嬉しそうに、男は言った。
「ここの教会のさ、ソノラさん、ってシスターさんがいるだろ。あの人……こんな不細工な俺にも優しくしてくれてさぁ、俺、女の人にあんなに優しくされたこと無くってさぁ、何て言ったらいいのかわかんねえんだけどさぁ
……」
ああ、ソノラさん……。人当たりが良くて、少しおっちょこちょいな、小柄なあの人か。
あの人は、消えずに済んだんだ……。
「俺のこの気持ち、伝わるかなぁ。神様、助けてくれるかなぁ……」

好きな人を想う気持ちの美しさと喜び、そして不安が入り混じる表情。
そんな姿に、思わず少し前の自分が重なる。
好きとか、そんなことにも気づかずに、姫様のことを想うだけで楽しかった、嬉しかった、あの頃……。

人を、好きになる。
最初はその姿を見るだけで嬉しくて、言葉を交わすだけで幸せで……。
それが、いつしか、こんな醜い嫉妬と憎悪に変わってしまうことを、この方はまだ知らない。



「人を、好きに、なったとしても……それが、報われるとは、限らないんですよ……」
「……え……神官さん……?」

この方に向けた、美しいだけの言葉はいくらでもある。
今までは、そんな言葉を神の教えとして伝えてきた。

もう、そんな言葉は、私には、言えない。

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