◆裁きの呪文-5-◆

そうだ。私だって、今までに何度もこうして抱きしめられたことがある。

──あなたは、大切な生命なのよ。
そんな言葉を浴びせられて。

だけど、その温もりは、私を愛してはくれない。
私を抱きしめたその腕で、最愛の息子を、娘を、親を、兄弟を、伴侶を抱きしめる。
ただの自己満足、偽善に過ぎない、その場限りの癒しの行動。

そんなもので、私が救われるものか。
いくら私が温もりを求めたって、既にその腕の中には大切な人が在る。
誰よりも、何よりも、大切な存在には敵わないんだ。
──私を騙す温もりを信じて、裏切られたときの絶望。そんな思いをどれだけ積み重ねてきたのだろう。
だから私は、もう、人を信じない、愛さないと決めたんだ……。

決めた……はずなのに。



「マーニャさん。貴女は、自分が良いことをしたという気分に浸りたいだけなんです。違いますか」
「そんなこと無い。だって……」
「私は、貴女にとって何ですか?」

マーニャさんが、言葉に詰まる。
それは、あのとき。ミネアさんに聞いてはいけないことを聞いてしまったときと、同じ表情……。

「……大切な、仲間よ」
「仲間、ですか。そんなの、その他大勢の一人じゃないですか。貴女のお父様は、貴女を愛してくれていた。
それだけのことです。お父様の行動は、貴女への愛情表現です。でも、貴女のは……」
「……判ったわ。ごめん。アンタの言う通りかもね。確かにね……アタシは、アンタを愛してなんかいないわ」
私の言葉を遮って、マーニャさんが早口で捲し立てる。
愛してなんか、いない。その言葉が胸に刺さる。
「……アタシになんて愛されたって、困るでしょ?」
「……」
少しきつめの化粧の香りがする。
私の酷い暴言にも、マーニャさんは正面から向かい合ってくれる。

そんなマーニャさんの姿を見ると、心が、もやもやとする。
いっそソロさんのように私を罵って、ここから離れろと言ってくれた方が、どれだけ楽だろうか。

「……申し訳、ありません。マーニャさんのことを酷く言うつもりは無いんです。私が」
「あー、そこで私が悪いんですぅとか言うつもりなんでしょ。それこそね、ただのその場限りの謝罪の言葉。
そうやって全てを丸くおさめたつもりで生きてきたんだ、アンタは」



ぐっと、今度は私が言葉に詰まる。
私の身体に染み付く、嫌われないように卑怯に振舞うこの習性。
マーニャさんは、そんな私の心までをも見抜いているというのか……?



「判るわ。怖いんでしょ。アンタは今まで、誰にも心を開いてこなかった。誰からも中途半端な存在で見られてた」
「……!」

一瞬、私に囁きかける悪の耳鳴りが、きん、と甲高い音を残して、身体を駆け抜けていった。
逃げ出したい。こんな苦しい状況から。吐き気がする……。
そんな私の苦痛な表情を見てか、マーニャさんがすっとベッドから立ち上がった。
そのまま、少し早足で入り口に向かう。

「ああ、そうだ」
扉に手をかけようとして、マーニャさんがふわりと振り返った。ミネアさんと同じ、さらさらとした髪が風に靡く。



「さっき、アンタさ。仲間なんてその他大勢の一人だって言ったけど……時には、そんなその他大勢の一人のために身体張ることもできるもんなのよ。それが、仲間」



──そう言い残して、掌をひらひらと振りながら、マーニャさんは部屋を後にした。



「……」
ふと目を落とすと、シーツに残る、マーニャさんの血の跡。
私が付けてしまった、愚かな行動の証。
せめて、治癒呪文でも唱えて差し上げるべきだっただろうか──。



翌朝はどんよりとした空。
もやもやとする私の心を映すかのような空だった。

「あの……ブライ様」
朝食の席で、私はそっと重い口を開いた。
皆が、私に注目する。
「昨日は……大変な無礼を働きまして……申し訳ございませんでした」
目頭が、熱くなる。ぐっと唇を噛み締めて、全く手をつけていない食卓の上の朝食を眺めた。
「いや……」
何かを言いかけて、ブライ様が言葉に詰まる。
──私はそのまま席を立ち、急ぎ足で部屋へと戻ろうとする。

「……クリフトさん」
ミネアさんの声だ。一瞬その美しい声に立ち止まるものの、振り返ること無く私は部屋へ戻る。



ぐるぐると、悪の心が私の身体を、心を、駆け巡る。
……気分が、悪い。
思わず、その場に座り込む。

裁きの呪文。
この呪文に呑まれて、身体を、心を、壊してしまった神官たちの姿が蘇る。
──怖かった。
しかし、その壊れた神官を裁いたのも──紛れもない、この、裁きの呪文だった──。



「……裁きの呪文は、穢れた悪の心を魂から切り離し、自らの身体の中で慈悲の心をもって浄化し、神の元へ還すための呪文。その罪悪感から逃れるための強烈な快感、囁きかける悪の心。それらを乗り越え、正しき道を歩んだ者に、神は蘇生呪文を与えてくださる……」



ああ、そうだ……それは神官長のお言葉。
恐怖に震える幼い私の身体を抱きしめながら囁いた、裁きの呪文の正体。
──私の心の中に宿る悪の心は、あの闘いで私が裁いた化け物の心──。

「……黙れ……」
あまりに優しく、魅力的な言葉を囁き続けるその悪の心。
悪すら許せと説く、神の慈悲の心。



──どのような咎人でも救うのが神官の役目ではないのか? 
──姫を惨殺しようとも、私が泣いて許しを乞えば、お前はその罪を許してくれるのだろう?



それは忘れることのできない、デスピサロの言葉……。

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