◆裁きの呪文-5-◆

「……クリフト君」
扉の向こうから、ライアンさんの声が聞こえた。
私は小さな声で、はい、と答える。

「……開けても、良いですかな」
その声に一瞬躊躇うものの、私は立ち上がって扉の方へ向かう。
ゆっくりと扉を開くと、優しい表情でライアンさんが佇んでいた。
「ありがとう」
ライアンさんが、私の肩にぽんと手を置いた。



「サントハイムへ向かいます。覚悟は、出来ていますか」
「……サントハイムへ……」
──そんなもの、見捨ててしまえ。
──なあ、あの呪文で嫌な奴をかたっぱしから殺そうぜ……。
そんな囁きが聞こえてきて、思わず首を振る。
「……そうですか……」
「あ……ち、違います……」

一瞬、私は目を閉じる。
ほんの一瞬だったはずなのに、その瞼の裏に、懐かしいサントハイムの風景が蘇る。

目の前に広がる、広大な海原。
そこから風に運ばれて鼻をくすぐる、穏やかな汐の香り。
王様の、姫様の笑顔が、国民に安心と安らぎを与える。
誰もが王様を、姫様を慕い、愛し、尊敬していた、あの国。
争いなどとは無縁の、平和な時を過ごしていたはずなのに──。

私が、デスピサロに余計なことをしてしまったからではないのか?
そもそも、サントハイムの人々が消し去られてしまったのは……。

……落ち着け。誓ったはずだ。私は、サントハイムのために闘うと。
どんな困難も苦しみも乗り越えてみせると。

あと……少しじゃないか。今までの、先が見えない苦しみとは違う。
いつまで待てばいいのか、そんな苦しみとは違う。
私が成すべきことは、私が守るべきものは、私が取り戻すべきものは、こんなくだらないことで崩れ去る程度のものじゃないはずだ。

黙れ、悪の囁きよ──。



「……大丈夫です。行きます」
顔を上げて、私はライアンさんの瞳を見つめる。
私の覚悟が伝わったのか、ライアンさんは優しく微笑んで、再び肩に手を置いた。
「判った。準備をしなさい。皆、クリフト君を待っています」
「はい」

小さく礼をして、私は扉を閉めた。



荷物を纏めて、宿の入り口へ向かう。
ソロさんとライアンさん、ブライ様が既に準備を終えて待機していた。
談笑していたソロさんの表情が、一瞬にして険しいものとなる。
「やーすみません、遅くなりました」
ソロさんが何かを言いかけたそのとき、緊張感の無い、間の抜けた声が響いた。トルネコさんだった。
「おや、女性の皆様はまだですか」
「ああ。何だか色々準備が面倒らしいぜ」
「どこの国でも、女性というものは同じなのですな」
「いやいや、少しくらい姫様もそのような女性らしさを備えて……」

そんな何てことない、日常の会話。
それなのに、私には、縁遠い。

「ごっめーん、待ったー?」
「お前なー。少しは危機感持てねーのか? 遊びに行く待ち合わせじゃねーんだぞ?」
……全くだ。
これからサントハイムを救いに行くというのに、これが勇者さまの態度だろうか。
本当に、この人が、勇者さまなのだろうか?
何かの、間違いではないのか。



船が走り出す。
少し、波が高い。
女性たちを船室に避難させ、ソロさんとライアンさん、ブライ様と私が甲板で敵に備える。
ここのところ、海の化け物が非常に強い力をつけているという。
そのせいか、波も高く、今まで見られなかったような大渦や時化が船乗りたちを襲っているという。

「来たぜ!」
海から二匹、空から三匹。
ソロさんとライアンさんが剣を構えて走り出す。
ブライ様が魔法の詠唱に入る。
──私も、ゆっくりと剣を抜いた。

ソロさんやライアンさんには、敵いはしない。でも、少しは私も強くなったはずだ。
ただ、決してソロさんとライアンさんの前には出ない。
お二人の補助に回る。

その連携は見事なもので、あっという間に化け物を倒していく。
……仲間。マーニャさんがそう言っていた。ひとりでは何もできない私でも、仲間と一緒なら役に立てるのだろうか。



「前より、強くなってるな……こいつら」
ソロさんが倒した化け物の頭をこつんと蹴飛ばす。同時に、剣を鞘に収めた。
ライアンさんとブライ様が、ふうと溜息をついた。
私も、剣を軽く振って鞘に収める。



──皆が、化け物の亡骸から目を離した、そのときだった。
死んだと思っていた化け物が、大きな鳴き声をあげて起き上がった……!

「……え……っ」

天高く舞い上がった化け物は、ソロさんに向かい急降下する。
その足には鋭い爪が……。

「ソロさん……!」
──咄嗟に私は、裁きの呪文を唱えた。
生臭い靄が渦を巻き、化け物の身体を包み込む──。

どさり。
ソロさんの目の前で、化け物の身体が甲板に落ちた。

「……あ……」
身体中に走る、ゾクゾクとする快感。その快感に呑まれないよう、私は必死に抵抗する。
少し身体が震えて、荒い息が漏れた。



「クリフト……」
汗と波で髪を濡らしたソロさんが、ゆっくりと私に近づく。
何を言われるのか、私は恐ろしくてぎゅっと目を閉じた。

「……ありがと、な……」



ソロさんはそっと私の肩に手を置いて、目を逸らしながら、確かに、そう言った。

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