◆大切な人-4-◆

港町は夜を迎えても、少しも賑やかさは失われない。
窓の外には篝火と、海の男たちの賑やかな笑い声と罵声。
私は布団をすっぽりと被って、眠れない夜を過ごしていた。

隣のベッドからブライ様の小さな鼾が聞こえてきた。
それを確認すると、剣を取って私は部屋を後にする。
……剣は、こんなに重たかっただろうか。
もう、必要無いものかもしれないのに……。



風が強い。
湿り気を帯びた海風は、サントハイムを思い出させた。
船が出なくなったという港の近くをぶらぶらと歩く。
深い闇の中に、波の音が響く。
篝火の元に、腰を下ろす二つの影。

それは──ソロさんと、姫様──。
胸が、ぎゅっと、締め付けられる。

判っているのに、身体が震える。涙が滲む。
私は惨めにもまたひとりきり。
茨の鳥籠の中で、囀ることすらできない。



何を話しているのだろう。
私には、少しの時間すらも割いていただけないのに。
ポケットの中で、姫様のために選んだネックレスを弄ぶ。
既に包みは破れて、鎖が少し絡まっていた。

ソロさんが姫様の髪を撫でる。
姫様が小さく何度も頷く。
見ていられなくて、私はその場を足早に後にした。



暗い街外れで剣を抜いて、滅茶苦茶に振り回す。
吐き出せない気持ちをぶつけるかのように。
判っているのに。
いつか姫様は一生を共にする伴侶を見つけるのだと。
私はその姿を祝福する立場にあるのだと。

でも。でも。
早すぎます。
まだ、私の心は、不安定で自分勝手で、まだまだ修行が足りません。
穢れの無い笑顔で、慈悲の微笑で、姫様を祝福することができません。

力が、欲しい。
私は神官である前に男で、人間だから──。



「……」



──再び、何かの、声。
何だろうか。何かを私に囁きかける声。
それは酷く優しく、冷たく、不思議な声……。



眠れずに迎えた朝。
掌の肉刺を隠すように手袋をつけて、宿の外にあるベンチにぼんやりと腰掛ける。
朝日を見るのは好きだ。この澄み切った空気が心地よい。
ため息が空気を白くして、ふわりと浮いた。

しばらくすると宿から出てきたのは、いつもの通り、姫様とソロさん。
もう私は二人を見ることもせず、何事も無かったかのようにそこに居続ける。
「……クリフト……」
姫様が、小さな声で、私の名を呼んだ。
「……昨日は、ごめんね。ねえ、手合わせから戻ってきたら、話……しようか」

久しぶりに姫様が私に話しかけてくださったというのに、酷く憤りを感じた。
何を今更。もう、遅い……。



「姫様とお話することなんて、もう何もありません」



愛しかったその存在が、憎い存在に感じる。
それは、母と同じ……。
一方的に愛して、それが受け入れられないから、思い通りにならないから、愛しい存在が憎くなる。
……醜く、自分勝手なくだらない感情だ。
愛は、見返りを求めないものなのに。そんな奇麗事が再び頭を過る。

「そんな……」
「昨日お話しようとしたことは、もう解決しましたので」
そんな私たちのやりとりを、ソロさんが怖い目つきで見つめ続ける。
「……お気をつけて」
姫様と目を合わせることなく、私は宿の中へ戻った。



宿の中で少しの後悔。
どうして素直に、はい、と言えなかったのだろう。
今まであれほど聞分けが良い自分を演じてきたのに。
こんなところでくだらない意地を張って、姫様を傷つけて。
姫様は、どれほど悩んで苦しんで、私に話しかけたのだろうか。

フレノールでの出来事の後も、姫様は不機嫌だった。
あのときは素直に謝れたのに。何度も何度も姫様のご機嫌を取ろうと頑張ったのに。
思えばあのときから、私と姫様の間にすれ違いが生まれてきたのだろうか。

掌の中で、私は花びらのネックレスを転がした。
縺れた鎖は、まるで私と姫様の関係を示唆しているようだ。

私と姫様のすれ違いは続く。



……馬鹿らしい。

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