◆大切な人-5-◆

食卓はいつもと違う、重い空気。
これからの命を懸けた闘いへの思いが交錯する……。

腕輪の呪いは、いつまで私を苦しめるのだろう。
できることならば、この闘いで清く散ってしまいたい。
これ以上、惨めで情けない姿を皆の心に残したく無い。

「……負けない。今度は、絶対」
マーニャさんがカップを握り締めて呟く。
その言葉は力強く……。
「ああ。負けない。今度は、俺たちがついてる」
ソロさんがマーニャさんとミネアさんを交互に見つめて囁く。
……そんな言葉を、私も一度でいいから言ってみたかった……。

味気ないパンをひとくち、無理矢理口に運ぶ。



荷物を馬車に積み入れながら、旅の支度を整える。
いくつかの荷物を運び入れたとき、私はその荷物の隙間にそっとネックレスを隠した。
「……」

どうしてあのとき、素直になれなかったんだ。
──そうだ。今まで人の言うことを素直に聞いてきたときは、こんな惨めな思いはしなかったはずだ。
私には意思など、必要無いんだ。
私が自らの意思を持つようになってから、こんなくだらない出来事が相次いでいるんだ。

仕舞っておこう。そんな意思は茨に包まれた心の中に。
そうだ。私は……誰かに従っていれば、いいんだ。
いい子でいるしか、無いんだ……。



姫様とマーニャさん、ミネアさんが馬車に乗り込む。
キングレオの城までは、男たちが化け物と闘う。
私はソロさんの指示を、作戦を待った。ソロさんの指示は的確で、非の打ち所が無い。
……従っていよう。そうすれば、勝てる。
そうすれば、叱咤されることなど、無い。
たとえそれが、私でなくてもいいことであっても……。

治癒呪文を操って。
剣を振るって。
皆の闘いの補助をして。

意思など無く指示に従う私に、誰も文句は言わない。
憎い男の指示に従うということで、時折、欠片ほどの自尊心が茨に刺さってちくりと痛む程度だ。
ブライ様も、良い働きだと褒めてくださった。
ありがとうございます、と返す自分の心の中で、本当の気持ちを縛り付ける。
──違います。本当の私は……。

必要なのは『私』じゃない。
適度に治癒呪文を操って、適度に剣を振るって、適度に補助ができる『存在』。
命令に従うだけの、ただの操り人形のようなもの。
ああ、今まで生きてきた日々が、どれだけ空虚なものだったのだろう。
神の教え、私はそれを信じていた訳じゃない。
神の教えを信じるという行為に縋りついていただけなんだ。
褒められるため。よくできる子だと、認めてもらうために。

──そんな不信心な神官に、神の加護などあるものか。
私には、神の御声は、聞こえない。



「……」
──囁きかける声が、だんだんと強くなってくるような気がする。



生臭い空気が渦を巻く。
胸がむかむかとして、吐き気すら催す。
ミネアさんは、大丈夫だろうか。私と同じく、この空気を感じる方……。

目の前の城が、不吉な黒い靄に覆われている。
それはあのときのサントハイムと同じ……。

「……着いた……」
ソロさんが小さく呟く。その声に、姫様、ミネアさん、マーニャさんが馬車からゆっくりと降りてくる。
「酷い、あの靄……」
ミネアさんが恐怖のあまり、怯えた声を出した。
「……靄ぁ? そんなもの……見えないじゃない」
そうか。この靄、これも生臭い空気と同じように、私とミネアさんにしか見えていないんだ。
姫様が帽子をしっかりと被り直す。
力強い表情。ソロさんとの手合わせで、きっと、ずっとずっと強くなられたのだろう。

「……ミネアさん」
「……はい……?」
「……お気をつけて」

私が声を掛けたのは、姫様ではなく、ミネアさんに。
……どうして、だろうか。私にも、判らない。

「勇者さま……!」
靄に阻まれるかのように城の前に立ち尽くしていたのは、不思議な気配を持つあの詩人だ。
「お待ちしていました。今……ひと足先に、ライアンさんが城の中へ向かいました」
「……そうか」
ソロさんが剣を抜く。それを合図にしたかのように、闘いに赴く女性たちがソロさんの周りに集まった。
「お前は、どうする」
「私は……この靄の中には入れません。この身体が、吸収されてしまうから……申し訳ありません」
「……?」
どういうことなのだろうか。この不思議な気配の詩人は、何者なのだろうか。
「お伝えください。ホイミンは、やっと貴方のお役に立つことができました、と……」

寂しげな微笑。それでも後悔の無い微笑。美しくも儚いその笑顔が、私の心に突き刺さる。

大切な人のために。
この詩人は、ライアンという人のために。
ミネアさんとマーニャさんは、父親のために。
トルネコさんは、愛する妻のために。
姫様とブライ様は、サントハイムの国民のために。
ソロさんは、この世界中の人を救うために。
それぞれが、強い絆と想いのために。

……私は?
私の、大切な人は……?
私は、何のために……? 誰のために……?
サントハイムの皆様のため、姫様のため、どのような苦しみにも耐えてみせると決意したはずなのに。



姫様の後姿を、ふと見つめる。
その姿が、振り返ることは無かった。

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