◆大切な人-2-◆

私はその後、呪文の詠唱以外にはほとんど口を開かなくなった。
そんな様子を見て、最初は私を気遣っていろいろと話しかけてきたマーニャさんやトルネコさんも、だんだんと
私の存在を視界から消し去っていった。

別に、そんなことはちっとも苦では無い。
苦しくて堪らないのは、姫様のお声と、笑顔。
今までそれは私の心を癒していたはずなのに、今は私の心を苦しめるだけ……。

判っている。
これが、くだらない嫉妬だということを。
それでも私は負けたくなくて、皆が寝静まってから、ひとり剣を振るった。
賑やかな港町。その片隅で、闇の中で。



「悔しい……」
闇雲に剣を振り回しながら、思わず小さな言葉が漏れる。
「負けるものか……!」
少しでも追いつきたくて、追い越したくて。
相手を傷つけるだけと思っていたその剣を、私は振り回す。

「……姫様……」
疲れた身体に、涙が溢れる。
ソロさんより強くなれば、私はきっと姫様に見捨てられることも無い。
ブライ様に叱咤されることも無い。
サントハイムのために、私が必要なのだと、そう認めていただける。
あの笑顔を、再び、私に向けていただける。
倒れる前、確かに姫様は私に言った。
私だけのクリフト、だと……。

戻りたい、ソロさんと出会う前に、私が倒れる前に。
だけどそんなことは叶わない。それなら、私自身で取り戻すしか無いんだ。
涙を拭って、もう一度剣を振るう。
一度、二度。剣を振るうたび、汗と涙が私の周りに飛び散っていく。



そこにふと、ちらちらと舞い降りる、雪。
「……雪……」
もう、そんな季節になるのか。
何度目の、冬だろうか。ふと、掌を見つめる。
私を置き去りにした、憎いはずなのに愛しい掌の温もりが忘れられなくて。
私の人生を、心を、めちゃくちゃに壊したあの愛しい存在が忘れられなくて。
いい歳をして、母の呪縛から逃れられないなんて、情けない。

もう、私は、捨てられたくない。置き去りにされたくない。
そのためにはいい子でいるしかないんだ。私という存在を認めてもらうしかないんだ。
いい子で待っていて。そんな偽りの言葉にすら、一片の希望を持って縋りつくしかないんだ。

──冬は……嫌いだ。
人の温もりが恋しくなるから……。



雪景色が残る翌朝は、すっきりと晴れ渡っていた。
姫様とソロさんは、毎朝の日課として手合わせを欠かさない。
宿の窓から、私はぼんやりとその姿を眺めていた。

ふと、私の目の前に、お茶が置かれた。
「あ、すみません……」
ミネアさんが優しい笑顔で、私の隣に腰掛ける。

言葉を交わす訳でも無く、お互いにただ窓の外を眺めていた。

「……大切な、人の……」
ミネアさんが外を眺めながら、小さく呟いた。
「大切な人の心が、他の人に向いていることは、つらいですよね……」
「……え?」
ミネアさんの視線の先には、姫様とソロさんの姿。

──ああ、そうか……。ミネアさんはきっと、ソロさんのことを……。

私と同じ気持ちを味わっているのだろうか。
ミネアさんにまでこんな苦しい思いをさせているなんて、ますますソロさんが憎くなる。
多くの人に愛されて、信頼されているソロさんが憎くなる。
どうして、私は、誰にも……。

私と、ミネアさんのため息が、重なった。



「……クリフトさん。アリーナさんと、何かあったのですか?」
何かあったのか、と言われれば、別に何かあった訳では無い。
私が情けなくも病に倒れ、気づけばソロさんたちに助けられていたあの日。
──あの日から、姫様は、変わってしまった。
「私では、お役に立てない。ただ、それだけですよ……」
そう。ソロさんがいれば、私など姫様の御傍に仕える必要なんて無い。
姫様も、ブライ様も、そう思われているのだろう。
それでも長年、同じ時間を共有してきた、ただの情のせいで私を見捨てないだけ。
見捨てられることを極端に恐れる私の心を知っていて、よそよそしく避けているだけ。
「そんなこと……」
「剣の腕でも敵いません。治癒呪文だって、攻撃魔法だって、ソロさんは何でもこなします」
見た目も麗しくて、伝説の勇者という選ばれた血筋で、誰からも愛されて。

「そんなこと、ありません。クリフトさんだって」
「……ミネアさん。では逆にお聞きします」
何とか私を慰めようとするミネアさんの優しい気持ちすら、空々しく感じてしまう。
思わず、聞いてはならないことを聞いてしまった。

「ソロさんと、私。どちらが頼りになりますか?」
「……」

ミネアさんは困惑の表情を浮かべる。
それはそうだ。
私を目の前にして、それはもちろんソロさんです、などと言える訳が無い。
空々しい嘘で、もちろんクリフトさんです、などと言える訳が無い。

「今のお気持ち。それが、姫様のお気持ちです」
窓の外の姫様が、美しく舞う。エンドールでの武術大会を思い出す。
──あのとき、私がデスピサロに余計なことを言わなければ、サントハイムの人々を消し去られるようなことは無かったのだろうか。

デスピサロ。あなたは今の私を見て、悦んでいますか……?
あなたの名前を思い出すと、この生臭い空気は相変わらず私を包み込みます。



「……キングレオは、強いです」
ミネアさんが急に話題を変える。
「あのとき私たちが殺されなかったのは、運が良かっただけです。もしかしたら、今度は助からないかもしれません」
……そうだ。あの詩人の話を真に受けて、私たちはキングレオの元へ向かっているんだ。
そんな危険なところへの寄り道。そんなものが本当に必要なのだろうか……?
「だから、クリフトさん。キングレオの元へ向かう前に、アリーナさんとしっかりと話をしてみてください。きっと
お互いに何か誤解をしているだけです」
「……」

いつか、話をしなければならない、とは、少しだけ思っていた。
でも、怖かった。
今はただの疑問。それが確信に変わってしまうことが恐ろしくて……。
でも……。



「……判りました」

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