◆非情な伝説-4-◆

湯から上がって、ゆっくりと廊下を進む。
重い身体は体調のせいなのか、心のせいなのか。
「──……」
遠くから、姫様の笑い声が聞こえた……。

「……」
二階へ上がる階段の前で出会ったのは、ソロさんと姫様、ブライ様。
──気まずい、沈黙。
ソロさんは力強い瞳で私を見つめている。思わず、その目線から逃れてしまう。
「……行こう、ソロ」
ほんの一瞬だけ姫様は私の方を向いた。姫様はソロさんの腕を引っ張ると、バタバタと大きな音を立てて二階へ上がる。
ああ、私は──避けられているんだな、と、その一瞬の表情を見て感じた。



「……もう、大丈夫か、クリフト」
「……はい。ご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ございませんでした……」
元はといえば、私が強引にこんな旅に出てしまったから。ソロさんたちがいなければ、今頃、姫様はどうなっていたのか、考えるだけでも恐ろしい。本当は、感謝するべきなのに。私はソロさんに感謝することができない。

「ブライ様。私の身勝手で姫様を危険な目に合わせてしまい、お詫びの言葉もございません。私はここで、皆様の旅の無事を祈ろうと思います。いつか、サントハイムが元の平和を取り戻せますよう……」
「……勇者殿に言われたか。それで、いいのか」
ブライ様は私の言葉を遮る。……私を姫様の御傍から離すと申されたのは、ブライ様なのに。
「……はい」

私では姫様を守れない。
私ではサントハイムを救えない。
姫様も、そう思われているのだろう。
私のことを気遣って、言えないでいる、だから私のことを避けているのだろう。
もし、強引に姫様についていったとしても、思い知らされるのは無力さと、惨めな気持ち。
いっそここで、サントハイムから遠く離れたこの地で、姫様にお会いすることなく暮らしていくのもいいのかも
しれない。姫様が笑うと、私は幸せだったはずなのに。今は姫様の笑顔がつらい。その笑顔は私を見たとき、悲しそうな表情に変わってしまうから……。

「わしは、お主がこの旅に出ると言ったとき……嬉しい、と思った」
「え……?」
「お主が過去の呪縛から逃れようとしている、と感じてな」

どういうことだろうか。意味が……判らない。

「わしの意見に逆らうなど、今までのお主では考えられないことだった。しかし、お主は自分の意志を貫いた。人に従うことしかしなかったお主が……」

──あ……。

「なあ、クリフト。いつまでもいい子でいる必要なんて、無いと思わんか。お主、自分で言っただろう、もう子どもではありません、とな」
「……ブライ様……私は……」

姫様の、御傍に居たいのです。
例え役立たずだとしても、例え無力だとしても、例え惨めな思いをするとしても──。
……でも。言葉が、出ない。

ブライ様は何も言わず、優しい笑顔で私の背をぽんぽんと叩く。
もし、もしも、私の心を縛る茨が取り去られる日が来たら、こんな言葉も素直に言えるだろうか……。

「勇者殿はな。故郷の村をデスピサロによって壊滅させられたそうだ。家族も、村の皆も、勇者殿をお守りするためにその身を投げ出した、と。目指す敵は同じだ。憎む敵は同じだ。勇者殿と一緒に行こう、クリフト」

目指す敵……憎む敵。
そうだ。私はサランで、初めて誰かを、何かを心から憎んだはずだ。
でも。でも、今はどうだろう。
今のこの気持ち。これは誰も憎むことができない苦しみ。
誰のせいでもない──自分自身のせいだから。自分自身が不甲斐ないだけだから。
いっそのこと、誰かを憎めるのならば、もっと楽になれるかもしれないのに。

デスピサロは言った。お前は私と同じだ、と。
姫様を傷つける者は、神が許そうとも許さないと言った私に。
デスピサロにはデスピサロの正義があるのだろう。
おそらくは、愛する人を奪った私たち人間への復讐。
私たちもただ自分たちの勝手な都合で、多くの化け物や魔物を殺めてきた。
あの化け物や魔物にだって、親が、子どもが、家族がいるのかもしれないのに。

何が正しくて……何が悪なのか。判らない。判らない。私はどうしたらいいのだろうか。



「ミネアさん」
「はい?」
洗濯物を抱えて廊下を行くミネアさんを、私はそっと呼び止めた。
「……ミネアさんは、占い師でしたよね……?」
「そうですけど、何か悩み事でも?」
ミネアさんは優しく微笑む。占い師の元を訪れる者は、何かしらの悩みを抱えた者たちばかりなのだろう。それは、教会に訪れる人々のように──。
そうか。ミネアさんと話していると落ち着くのは、そのためなのかもしれない。

「占っていただきたいのです。私が、どうするべきなのかを」

ミネアさんは私を見つめる。透きとおる瞳は、まるで水晶のようにきらきらと輝く。

「クリフトさん。占う必要はありません。あなたはもう、ご自身で結論を出しているはずです」
「え……?」
「背中を押して欲しいのでしょう。自分の考えが正しいのだと、誰かに認めて欲しいのでしょう」

ドキッとした。
まるで、心を見透かされているようで……。

「あなたが正しいと思う道を進んでください。それがたとえ誰かから見て悪や邪の道であろうと、どんなに罵られようと、それが正しいと自信を持って言える道を進んでください」



正しい、と、思える道……私には、それは、ひとつしか、無い。
その道が険しく苦しく、決して報われることが無い道だと判っていても、行くしか、ないのだろうか。
……そうだ。私は恐れているんだ。自らの心が壊れるほどの苦しみを味わうことが判っているから。

「……怖い、です……」
思わず、弱音が出る。小さく、震えた声。
「そういうときは、誰かに、救いを求めていいんですよ。誰かに、甘えていいんですよ」

ミネアさんは優しく微笑む。
その笑顔に、思わず、王妃様の聖母のような笑顔が重なる……。

誰かに、救いを求めたとしても。私を救ってくれる方など、いるのだろうか……。
あのとき、私の壊れかけた心を救ってくださった、王妃様のように……。
酷く脆く儚い私の心を支えていた、姫様のように……。

その心の支えが、もう、取り払われようとしているのに……。


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