◆非情な伝説-3-◆

「おはようございます、クリフトさん」
コンコン、と部屋をノックする音。
あまり聞き覚えの無い、柔らかな声……。
「あ……はい」
気だるい身体を起こして、小さく返事をすると、扉が開いた。
……昨日の、女性? いや、雰囲気が違う……そういえば、同じ顔がふたつ、あったような気がする。
優しく微笑むその顔は、ささくれ立つ私の心に安らぎを与えた。

「まだ、名乗っていませんでしたね。私、ミネアといいます。占い師をしています」
ミネアさん。昨日、ソロさんの話にあった、姫様に治癒呪文をかけてくださった方か──。
「……ソロさんから、お話を伺いました。姫様を助けてくださったそうで、本当にありがとうございます」
「いえ。お二人とも無事で、本当になによりです」
昨日の女性と姿は同じだというのに、この違い──まるで、姫様とメイさんのようだ。

あはははは、と、隣の部屋から甲高い女性の笑い声が聞こえてきた。
「すみません、騒々しくて。姉さんたらいつもあんな感じで……」
「お、お姉さん、ですか、あの方……」
「はい。マーニャ姉さんです。有名な踊り子なんですよ」
少し照れくさそうに、ミネアさんはマーニャさんの話をされる。その声、その表情から、マーニャさんのことを信頼し、誇りに思っているのだろうと感じた。

「お茶、どうぞ」
「すみません、いただきます」
久しぶりの紅茶の香り。私はベッドから身体を起こしたまま、カップに口をつけた。
「具合はいかがですか? 何か少しでも食べたほうがいいですよ」
「もう大丈夫です。本当にご心配をおかけしまして……」



何だろうか、ミネアさんと話をしていると、心が落ち着く。
同じ治癒呪文を操る仲間だからなのだろうか。
それとも、物静かな女性だからなのだろうか。



「クリフトさん。クリフトさんは、神官ですよね?」
「はい」
「……感じていますか?」
「……え?」



優しい笑顔から一変して、ミネアさんは険しい表情を見せた。そこには、少しの怯え──。



「……この世界を覆う……生臭い空気を……」
「──!」



私とミネアさんの間に、沈黙が流れた。



「……あははは。そうじゃないでしょトルネコー!」
再び、マーニャさんの甲高い笑い声に、はっと我に返る。

「……私は……この空気の元凶に出会いました」
私の言葉に、ミネアさんが驚きの表情を見せる。同時に、渦巻く生臭い空気──。
「デスピサロ。それが、奴の名です。サントハイムの人々を消し去ったのも、奴の仕業です……」
その名を口にする度、生臭い空気は密度を増す。そして、身体が少し震える──。
「……そうですか。でも。でも、もう大丈夫です……」
ミネアさんも少し震えながら、しかし笑顔を見せて、私に言う。

「勇者さまが、世界を救います。そう、ソロさんが」

「……あ……」

勇者さま──ソロさん、か。昨日の出来事が蘇って、悔しさがこみ上げる。
姫様も、ブライ様も、そしてミネアさんも……頼りにしているのは、ソロさんなんだ──。

「そう、ですか……それなら……安心して姫様をお任せすることができます……」
深いため息。もう、私の役目は、終わったんだ……。
「え……クリフトさん……?」
「私はここから、皆さんの無事をお祈りしております。姫様とブライ様をよろしくお願いします」
言葉と同時に、私はベッドを降りる。

「クリフトさんは、一緒に行かないのですか?」
「来るな、と言われました」
……荷物からタオルと着替えを取り出して、私は部屋を後にした。



私はどのくらい意識を失っていたのだろうか。
思い出したくも無い悪夢から目を覚ましたというのに、悪夢は現実のまま続く。
呪い──死ぬよりつらい地獄の呪い。それは、私と姫様の間を引き裂くものだったんだ──。

もう、涙も出ない。
ひとりで湯に浸かりながら、ぼんやりと自分の生きてきた道を振り返ってみる。

嫌われないように。言いつけを守って、自らの意思など無く。
ふと気づけば、私の周りには誰もいない。
クリフトはいい人。クリフトは優しい人。クリフトは真面目な人。
──でも……。

そう、その言葉。
その言葉の続きを聞きたくなくて、いつも耳を塞いだ。
違う。本当の私は……。
いい人を装って、自らを傷つけないために人に優しさを振り撒いて、褒められるために勉学に励む、全て自らへの見返りを求める、ただの卑怯者だ。

私が伸ばした手を取ってくれる人は、いない。
私でなければダメなことなんて、無い。
私の周りを囲む人々は、皆が皆、最愛と人と手を取り合って──。
私は、籠の中の鳥のように、茨に包まれた心からただその人々を眺めるだけだった。
私を飼ってくれる、この茨を取り去ってくれる主を求めて……。

私だから、そこにいるのでは無い。そこにいたのが、たまたま、私だった。ただそれだけ。
ソロさんは世界を救う勇者。それはソロさんでなければダメなこと。そこはソロさんの居場所。
姫様をお守りする、それが私の居場所。そう信じてここまで来たけれど……。
私は、姫様を守れなかった。
もう、ここに、私の居場所は無い。

「俺がアリーナを守る」

ソロさんの言葉が突き刺さる。どうして言い返せなかったんだ。そこは私の居場所だと。



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