◆美しき、悪-8-◆

──その日は雨。

コロシアムの前に、王様からの知らせを記した札が立った。

『武術大会は続行する。
参加する者は、舞台に集まること。
辞退する者は、そのままエンドールを去ること』

昨日の長い長い話し合いが嘘のような、短い知らせだった。



「なりません姫様! 姫様に何かあっては、王様に顔向けができません。ご辞退くだされ」
ブライ様が、舞台に向かう姫様に向かい声を荒立てる。姫様はその声に少しも反応することなく──ただ、前だけを見つめ、一歩ずつ舞台へ近づいていく。
……舞台への入り口で、姫様がふと歩みを止めた。

「あたし、行く」

ただ、一言。それだけ言うと姫様は舞台に上がる。観客席からは大きな歓声──。
降り続く雨は姫様の姿を濡らしながら激しさを増す。私はただ──その姿を、見つめるだけ──。

「クリフト。何をしておる。止めろ、姫様を止めろ。力ずくでも姫様を舞台から下ろせ!」
……そんなことは、絶対にできないだろう。一度言い出したら聞かないのは姫様の常だ。
「……そうだ、反則だ。クリフト、姫様にスカラでもホイミでも唱えろ。そうすれば反則負けだ」
ブライ様の言葉に、一瞬私の心が揺らぐ。けれど、出来ない。姫様とお約束したことだから……。

──そうだ。ひとつだけ……。

姫様とデスピサロを闘わせない方法──それを思いついた私は、舞台に背を向けてコロシアムを後にした。



季節外れの雷が空に鳴り響く。冷たい雨が、ふと、過去の……あの、雪を……思い出させた。
首に植えつけられた跡が、そこだけ熱を帯びる。生臭い空気が渦を巻く。近い──。

激しい雨の中、デスピサロの姿が見えた。私は神への祈りの言葉を囁きながら、鞘から剣を抜いた。

「……何の真似だ」
デスピサロの顔には、嘲笑。でも……私には──そうだ。
「あなたを行かせるわけにはいきません」
「お前が? お前が私に逆らうというのか」
変わらぬ嘲笑。しかし、私は怯むことなく、デスピサロの紅い瞳を見つめた。
「その剣で私を殺すのか。神官が人を殺めるか。どのような咎人でも救うのが神官の役目ではないのか? 
例えお前の目の前で私が姫を惨殺しようとも、私が泣いて許しを乞えば、お前はその罪を許してくれるの
だろう?」
「私は」
決して大きくは無いものの、デスピサロの声を遮るには充分な、低い声。
「私は、許せません。例え神がお許しになったとしても、姫様を傷つける者は、許せません」
「……そうか。それなら……」
デスピサロの手には、感じる存在感とは不釣合いな、小さなナイフ。

「お前は、私と同じだ」

──意外な、言葉。その言葉を聞いて、私の身体が動かなくなる──。

「このナイフの持ち主は、お前たち人間に殺された。何の罪も無いというのに。私はその仇を討つだけだ。お前は言ったな、姫を傷つける者は神が許そうとも許さない、と」
デスピサロはゆっくりと──私に歩み寄る。動かない身体を必死に動かそうと、力を籠める。

「だから、私は、お前たち人間を許さない」
「あなたは、人間ではないのですか」
「さあな」

私の頬に、ナイフが宛がわれる。雨で冷え切った身体にも、金属の冷たさはぞっとするほどのものだ。
「どうした。私を殺すのではないのか。今度こそ、私はお前を殺すぞ」
私は一度、ぎゅっと目を閉じ、再び開くと、デスピサロの紅い瞳に鋭い視線を寄せる。

「あなたに、私は殺せません」

その言葉に、デスピサロがナイフを頬から離し、ゆっくりと身体を退く。

「……何を。笑わせるな」
「本当ですよ。先日も、あなたは私を殺せなかった」
──それは──私を苦しめるだけだと思っていた、あの──。
「……呪い、です。私には、死ぬよりつらい地獄を味わう呪いがかかっています。あなたも、太古の呪いには抗うことができなかったのです。私はむしろ、今すぐにでも、この呪いから開放されるために──あなたに殺していただきたいのです……」

私は剣を放り投げて、デスピサロに一歩、近づいた──。

「殺せ」

そして、また一歩……。

「──私を、殺してください!」

私の叫びに、デスピサロが怯んだ表情を見せた。簡単に人を殺めることができる者が見せる表情とはとても思えず……。
しかし、すぐに表情は戻った。ナイフを握り締め、私に向かって一直線に──。

「──っ!」
左肩に走る、激痛。デスピサロのナイフは、微妙に急所を外し、私の肩近くに食い込んだ。
「……ふざけるな。何故、私がお前の望みを叶えてやらなければならんのだ」
「あぁっ!!」
デスピサロは肩に食い込ませたそのナイフに力を籠めて──ぐりぐりと、抉るように回転させる。そのたびに私の身体に痺れるような痛みが走り、びくりと身体が跳ねる。意識がふと遠くなるものの、休み無く押し寄せる激痛が、意識を身体に引き戻した。
「私はただ殺すことが、死の恐怖が、人間にとって一番の苦痛になると思い込んでいたようだ……」
足の力が抜け、その場に崩れ落ちようとする私の身体を、デスピサロはしっかりと抱え込む。
「面白いことを教えてくれて、感謝する。死ぬよりつらい地獄……生きることで味わう地獄、か」
耳元で囁くデスピサロの言葉が、冷え切った私の耳に生温かい息を吹きつける。勢いよくナイフを引き抜くと、私の身体からもその腕を外す。雨がナイフから私の血を洗い流していく様を、私はその場に崩れ落ちながら、眺めていた。

「これから人間に与えるのは、先の見えない恐怖だ。せめて束の間の幸せを楽しんでおけ。幸せを味わったからこそ──絶望も一段と楽しめるものになるだろう」

デスピサロは、コロシアムに背を向けて、ゆっくりと城下町の方へ歩き出した。



それを見届けた私は、痛む肩を押さえながら、力を籠めて立ち上がる。
剣を拾い、雨と血と泥にまみれたまま、私は宿へ戻る。

──死ぬよりつらい地獄の呪いを逆手にとった、私の作戦勝ちだ──。



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