◆美しき、悪-7-◆

幾度かの歓声の波が引いたあと、デスピサロはゆっくりと歩み出る。
──いよいよ、か。
長い銀の髪がふわりと揺れて、尖った耳が隙間から見えた。
あの耳……人では、無いのか。いや……これだけで決め付けることは……。

舞台に立つデスピサロの圧倒的な存在感に、観客の声援が凪となる。対戦相手となる男は相当大柄で筋骨隆々とした身体だ。それに対し、デスピサロは美しく細い身体の線を描いている。
しかし……その姿からは想像できないほどの、威圧感。殺気は感じない。ただ、そこに『居る』というだけなのに、身体が動かなくなる、あの恐怖。

「何者だ、奴は……」
柱を掴むブライ様の手が、小刻みに震えている。ブライ様も感じているのだろう、奴の確かな存在感と恐怖を。ふと姫様に眼を移すと、真剣な表情。眉を寄せ、唇をしっかりと噛み締めている。その両手は拳を握り、やはり小刻みに震えているようだ。
「判らない。でも、強いわ、あいつ」
そう言うと、姫様は少し微笑みを見せた。強い相手を見つけた、そんな嬉しさなのだろうか……。

「始め!」
審判の声が響いても、観客席から歓声が起こることは無い。ただ、じっと、固唾を呑んで、デスピサロの出方を待った。
しかし、デスピサロはぴくりとも動かない。構えることもせず、ただその場に立ち尽くすだけだ。
それでも、隙が見えない。闘いには疎い私でも、そのくらいは判る。少しでも動けば、すぐにその牙の餌食になってしまいそうだ。遠くから眺めているだけだというのに、息苦しさを感じる。
──あのときのようだ。首を絞められたあのときの……。恐怖の跡は、私の鼓動に合わせてじくじくと熱を帯びる。

対戦相手の男が、動いた。その大きな図体からは想像できないほどの、素早い動き。止まっていた空気が再び流れ出し、姫様の喉から、あっ、と小さな声が漏れた。
──刹那、だった。
いつのまにか男は舞台に伏している。何が起こったのか、判らなかった。
デスピサロは相変わらず、同じ場所に立ち尽くすだけだ。

「……な……何なの、あいつ……」
姫様の瞳に、初めて恐怖の色が見えた。姫様には、見えていたのだろうか、あの刹那の出来事が。

「ま、参った。降参だ……」
デスピサロに倒された男は、苦しそうな声で審判に告げる。審判は腕を上げてデスピサロの勝利を宣言した。



デスピサロはゆっくりと男に近づく。そしてその身体を、助け起こした──ように、見えた。



「──姫様っ!」



観客席のあちこちから、悲鳴が聞こえてきた。私は思わず、その惨状を見せまいと、姫様を抱きしめた。

デスピサロの腕は、確かに男の身体を助け起こした。しかし──逆の腕は、男の胸を貫いていた。

流れ落ちる……いや、溢れ出ると言ったほうが正しいだろうか。男の身体から大量の血液が──。小さな痙攣を見せた身体は次第に静かとなり、物言わぬ塊となった。
あまりの出来事に、私はその光景から目を逸らすことすらできなかった──。

「クリフト……苦しい……」
「あ……申し訳ありません……」
私は少しだけ、姫様を抱きしめる腕から力を抜いた。決して姫様に神聖な舞台上での出来事をお見せすることの無いよう、充分に注意しながら……。
「何が、何が起こったの」
しかし姫様は私の腕を振り解き、穢された神聖なコロシアムを目の当たりにした──。

デスピサロはゆっくりと、こちらに戻ってくる。その腕には生温かい血液を纏わせたまま……。
「……どうして。あの人は、負けを認めたのに。……どうして、殺したの」
姫様の静かな、怒りの声。このような恐ろしい声を聞いたことなど、今までに、無かった。
「……負けは、それは、死だ。児戯などに興味は無い。勝つか負けるか……それは、生きるか死ぬか、だ。負けた相手に情けをかけたところで何になる? その情けはいつか、身を滅ぼすことになろう」
──それは……正しいことなのかもしれない。そう、あの出来事のような……。
まるで何事も無かったかのような、冷たい表情。腕から滴り落ちる血液など意にも介さぬような素振りに、姫様は声を荒立てる。
「この大会は、殺し合いじゃないわ! 純粋に腕前を競い合うものよ! 興味が無いなら、何故あなたはこんな大会に出場しているのよ!」
「お前らに話す必要は無いだろう。美しき姫よ、決勝で待っている」



その日──武術大会は、一旦中止となった。



「許せない。あたしは絶対、あいつを決勝でぎゃふんと言わせてやるんだから! 王様、中止なんて言わないでください。あたしは絶対、あいつと闘う。神聖なコロシアムを穢した罪は重いんだから!」
城内では、武術大会決行の是非が問われていた。

死を恐れる程度の者が、出場しているというのか?
デスピサロは強すぎる。無駄に死者を出すだけだ。
コロシアムはそもそも、命を賭けて闘う場ではないのですか?
この大会は、精神も試されるものです。殺し合いの場では、無い。
闘いとは常に死と隣り合わせだ。死が怖いのであれば、出場しなければいいだけのこと。
敗者とはいえ、未来ある猛者を失うことは痛手だ……。

そんな議論が、いつまでも続く。
モニカ姫は目に涙を浮かべながら、目を伏せて唇を噛み締めていた。

私たち神官はそもそも闘いとは無縁だ。身につけた剣技は、あくまで儀礼用の、儀式のためのものだ。
こういった血生臭い話は、苦手だ……。

「神官殿」
思いがけず私を呼ぶエンドール王の声に、驚いて顔を上げる。
「は、はい」
「神官殿は、いかがだ。この大会、続けるべきか、中止すべきか」
……私に聞いてどうするというのだ。

「……私は……神官ですので、闘いは好みません。しかし……」
姫様が、恐ろしい表情で私を見つめている。下手なことは言えない……。
「闘うことで、自らの存在を確かめる者もいるのでしょう。闘う者が望むのであれば、続けるべきですし、闘う者が拒むのであれば、中止するべきなのではないでしょうか」
──そうだ。闘うのか、逃げるのか。それを決めるのは私たち傍観者では無い。
舞台の上で生死を賭けて舞う者たちだ。
私たちが嫌だから、私たちが望まないから、そんなことは強さを探求する者たちを冒涜することになるのではないか、と感じた。

「判った」
エンドール王は、ゆっくりと玉座から立ち上がると、大きく息を吸い込んだ。



「明日、武術大会は続行する。挑む者は挑め。逃げる者は逃げるが良い。誰も、咎めん」


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