◆美しき、悪-6-◆

姫様とブライ様を城門まで送ると、私はまっすぐ宿に向かうことはせず、街を彷徨い歩く。
──喧騒は好きではないものの、少し……ひとりになることが、怖かった。
こうして人々の活気に触れていれば、少しは気が紛れる。確かに私はここに存在しているのだと。

一軒の出店でパンを買うと、近くのベンチに腰を下ろす。パンを小さくちぎりながら、ふと、メイさんのことを思い出していた。

『今まで、人に頼ることしか知らなかったから……』

その言葉は私の心に今でも突き刺さる。
そして、メイさんに想いを寄せていたチャパラさんの気持ちも──。

私は、余計なことをしてしまったのだろうか。
姫様を傷つけ、メイさんを危険な目に合わせ、チャパラさんの小さな幸せを壊してしまった。
──全て、私のせいだ。一体、私は何をやっているのだろうか。

どうして、あの男は、私を殺してくれなかったんだ……そんなことまで考えてしまう。

サントハイムを出て行くとして、どこへ行ったらいいのだろう。孤独な身の上の私には、頼るべき親戚もいない。ひとりで新しい土地へ行く度胸も無い。メイさんですら、ひとりで生きていくことを選んだというのに──。
ネビンズさんにテンペ出向を代わって貰おうか。いや、テンペでは近すぎる……。少なくともサントハイム領土からは出たほうが良いだろう。しかし、当てが無い。神官長様に相談してみようか……。どこか、遠くで……神官としての修行を積むために、と……。
ぽろぽろとこぼれ落ちる足元のパンくずに、鳥たちが集まってくる。もうすぐ鳥たちも、巣に帰る時だ。この鳥たちにも……家族がいるのだろう。



翌日──決戦の日は、どんよりとした雲が空を覆っていた。今にも冷たい雨が降り出しそうな曇天は、これから起こる運命を示唆しているのだろうか──。
コロシアムは、満員。私とブライ様は姫様のお付きとして、裏手に回る。
「よろしいですか、姫様。敵わぬと思ったら、すぐに降参するのですぞ。相手の力量を見極められないことはありますまい。無茶、無謀と、勇気は全く異なる……」
「あーもう、判ってる判ってるってば」
きっとゆうべから、ブライ様は姫様に同じことを言い聞かせているのだろう。姫様はうんざりとした様子で、身体を動かしながら生返事を繰り返す。
「……そうだ、クリフト。第三者の協力は禁止だから。あたしから言わない限り、絶対にホイミなんか唱えたりしないでよ」
「は、はい。心得ております」
姫様からのお言葉に、思わず身体が引き締まる。腰の袋からありったけの薬草を取り出して、姫様に渡す。

コロシアムから、ひときわ大きな歓声が響き渡る。兵士が姫様を促し、観客の前へと歩き出す──。
「姫様」
私は思わず、姫様の背に言葉を投げる。
「……姫様の優勝を信じております」

私の言葉に振り返った姫様は──笑顔。

観客の声で聞こえなかったが、姫様は何かを私に語りかけた。
声は聞こえなかったけれど──その唇は、確かに、

『ありがとう』

そう言っているように、見えた……。



入場口から、私とブライ様は顔を出して、姫様が舞う舞台を見つめる。
姫様と対峙しているのは──武道家か。姫様よりはるかに背の高い男。大丈夫だろうか……。

「始め!」

その声に、観客席からうねりのような歓声が発せられた。その声にふと気を取られた一瞬に──姫様は既に男に一撃を食らわせている。
「強い……」
ブライ様が小さな声を漏らす。強い、とは、姫様のことなのか、相手のことなのか。
──それは、すぐに判った。
相手がそれだけ素早い拳や蹴りを繰り出しても、姫様はことごとくその攻撃をかわす。たなびく群青のマントが羽根のようにふわりと浮き、その姿はまるで揚羽蝶のような──。
そして、その顔には、笑み。闘いを楽しんでいる笑み。
それは……一歩間違えれば、狂った戦士となるのだろうか。
しかし。その姿は、舞う姿は、まるで闘いの女神だ。そのしなやかな動きは留まるところを知らず、私たちの瞳を釘付けにする。

──美しい。

これが姫様の魅力だ。城で飾り立てられた着衣に縛り付けられ、豪華な椅子にちょこんと座ることが、どれだけ姫様の魅力を損ねているのだろう。

「──それまで!」

審判の声に、再び観客席から歓声の波がわき上がる。その声に、私もふと我に返った。
「……」
「……」
私もブライ様も、声が出ない。
それもそうだ。あれだけ強く美しい姿を見せ付けられた私たちは、ただただ呆然と、その姿を見つめていた。
姫様が笑顔で私たちの元へ戻ってくる。ぽかんと口を開けたままの私たちを見て、姫様はころころとかわいらしい笑い声を立てた。
──その笑い声が、ぴたりと、止んだ。

そう……私たちの背後に……あの男、デスピサロ。

じくじくと、未だ消えない恐怖の証が、熱を帯びる。

「──なかなかやるな、美しき姫よ」
「──ありがとう。決勝で、待ってるわ」

デスピサロの眼には、既に私など映ってはいない。



──わあ、と、観客席から再び歓声の波。




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