◆美しき、悪-4-◆

予選会場となっているコロシアムから、続々と敗者が追い出される。
私たちはその中に、姫様の姿を探した。姫様が今まで手合わせをしてきたのは、サントハイムの兵士ばかり。そもそも魔法国家のサントハイムには、純粋な戦士や武道家は少ない。このような屈強な者たちと闘って、
いくら姫様でも無事では済まないかもしれない。

陽が傾いても、姫様は一向に姿を現さない。

「勝ち進んでいるのか……それとも……」
ブライ様が言葉を濁す。勝ち進んでいると……信じたい。
神よ、姫様をお守りください……。



空が夕焼けに染まる。
だんだんと、コロシアムから出てくる者たちが減っていく。

「……女のくせに、あいつ、強かったなあ」

──私の耳に、敗者の言葉が飛び込んできた。女、それは姫様のことだろうか。
私はたまらず、コロシアムの入り口まで走った。

もう、コロシアムから出てくる者はいない。
姫様はご無事だろうか。もしかして大怪我などされて、治療をされているのではないだろうか。だとしたら私も微力ながらそのお手伝いをしたい。もし、もし大切なお顔やお身体に傷跡でも残るようなことがあれば、私は
王様に顔向けができない。姫様、姫様……。
……私は目を閉じて、ひたすらに祈り続ける。



「クリフト、なにやってんのこんなとこで」
はっと目を開くと、薄汚れた格好の姫様が佇んでいた。身体には無数の擦り傷や痣があるものの、大きな怪我はされていないようだ。私は慌てて姫様に治癒呪文を唱える。
「ひ、姫様。予選は……」
「ん?」
私の問いかけに、姫様はにっこりと笑った。
──勝った、のか──。

「ちょっと苦戦しちゃった。世の中にはまだまだ強い人がたくさんいるのね」
よかった。……ん? よかった……のか? 予選で勝ち進んだということは──。
「決勝が楽しみ。明後日が決勝なんだって。少しでも修行しておかなきゃ!」
──まだ、闘いが続くということだ。よかったのだろうか、これは……。
「そうだ、姫様。参加者に、こう……銀色の長い髪をした男がいませんでしたか?」
昨日の男。ただそこに存在するだけだというのに、異常なまでの存在感と恐怖を感じた男。もし、あの男が
大会に参加しているのであれば、間違いなく決勝へ進んでいるだろう。そうすると……姫様と闘うことがあるのかもしれない。
私は無意識に、絞められた首の跡を、服の上からそっと撫でた。
「うーん……いなかったと思う。でも、予選は今日だけじゃないから……」
それなら……既に、予選を通過しているのかもしれない。
しかし、一体、何のために? あれほどまでの力を持ちながら、今さらこのような大会に出場するなど……。

──もしかして、モニカ姫が目的か──?

合法的に国を手に入れるには絶好の機会だ。感じた力は、間違いなく邪悪な力。エンドールを手中に治めれば、世界中を恐怖に陥れることができるだろう。考えられるとすれば、それだけ……。
「クリフトの知り合いなの?」
「あ、いえ……。昨日宿で出会いまして、あまりに強い力を感じましたもので……」
私の言葉に、姫様の目が輝いた。──しまった。姫様の闘争本能に火をつけてしまったか。

「そういえば、すごい強い奴の話は聞いたわ。昨日の予選に出てた……たしか名前は」
──姫様の言葉に、私は息を呑む。



「……デスピサロ」



「……っ!」
その名を耳にしたとたん、生臭い空気が渦を巻く。絞められた首の跡が焼けるように熱くなり、目の前がくらくらと揺れた。立っていられなくなり、思わずその場に座り込む。

「大丈夫!? クリフト!」
……間違いない。昨日の男の名なのだろう。そしてこの生臭い空気の元凶。
時に、悪は人の心を惑わせる、美しきもの。……私もふと魅せられた、妖艶なあの姿……。
「大丈夫です。申し訳ございません……」
昨日の恐怖が蘇り、身体の震えが止まらない。一体、奴は何者なのだろうか。



宿に戻った私は、部屋にあった本を手に取った。
──天空に浮かぶ城。
それがこの本の題名だった。

神官学校時代に、話を聞いたことがある。この空のどこかに、竜の神が住む城があると。
地上に残る天使の姿は、この竜の神に仕える天空の民の影。悪戯好きの天空の民は、よく地上に降り立ち、ちょっとした悪さをして人々を困らせる。悪さとは言っても、物を隠したり、恋人の姿を映して愛の言葉を囁いたり、そんな可愛らしいものだ。決して人々に見つかってはならないが、ふとしたはずみでその姿を見られてしまう者がいた。その姿が、地上の人々の伝説の中に天使として伝えられていく。
美しい羽根。整った姿。それはまぎれもない、天使の姿──。

竜の神は、天空の民が地上に降り立つことを許してはいなかった。それは、地上と天空、両方に残る
言い伝え。



──地上と天空が交わるとき、降り立つは不幸、芽生えるは憎悪。



地上と天空の狭間には、決して交わってはならない一線がある。
禁忌を犯したとき──何かが、起こると。

この空気。もしかすると、地上と天空が交わったためなのかもしれない。



文字を追っていくと、久しぶりに眠気が私を襲う。
本を閉じてベッドに横になる。──窓の外からは、相変わらずの喧騒。
この喧騒が終わるとき、私の旅も終わりを告げる。
そして──サントハイムとの、姫様との、別れがやってくる──。

もしも地上の民が、天空の民を愛したらどうなるのだろうか。
許されない愛。実ることのない愛。不幸を招く愛。悲しみだけの愛。
それは──私の……。





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