◆プロローグ-2-◆

「姫様を見張っていたのではないのか!」
ブライ様が兵士に声を荒立てて、姫様の部屋へ向かう。私も後を追う。
「それが、姫様の部屋から大きな音がいたしまして。我々が突入した際には既に姫様の姿は無く……」
兵士の一人が、心配そうな顔でブライ様に顛末を話す。
「お部屋の壁が、破壊されていたのです。もしや、魔物が姫様を狙って……」

私の胸がひとつ、大きく脈打つ。
今朝から感じていた違和感、生臭い空気、これらがそれを予兆していたのだろうか。
姫様の身に、何か。
考えたくない、そのようなことは……。

私たちは姫様の部屋の前に着いた。
開け放たれた扉の隙間から、壁の大きな穴が見える。
……これは……。

「……これは……このような強大な魔物が、姫様を……」
「ブライ様、違います」
私はひとつ大きなため息をついた。
「……これは、内側から破壊されたものです。つまり……姫様ご自身が、破壊されたものですよ……」
ブライ様が頭を抱える。
ああ、姫様、なんということを、あなたは女性であり姫であり……。
そんな言葉を呟きながら。
「とにかく追いましょう。急げば間に合うはずです」
私はその場から走り出し、再び、教会のあるサランへ向かう。サントハイム城からは、サランを出てしまうと、険しい山道だ。旅立つものは必ずサランで仕度を整える。いくら無茶苦茶なことばかりされる姫様でも、何の用意もなく山を越えることはなさらないだろう。

ブライ様が私の後を追う。さすがに老体だけあって、私について来ることは苦しいようだ。
しかしここで立ち止まる訳にはいかない。私は必死に姫様を追う。

「姫様ー!」
私はサランの手前で、姫様の姿を捉えた。大きな声で姫様を呼ぶ。
姫様は一瞬振り返ると、慌てて逃げ出すように走り出した。
「お待ちください、姫様……!」
サランには立ち寄らず、姫様はそのまま山道へ逃げ込む。
あまりに危険すぎるその行動に、私は無我夢中で姫様を追う。

どのくらい追いかけただろうか。私は体力の限界に足をとられ、その場に倒れこんだ。
「はあっ……はあっ……」
起き上がれない。苦しい。情けない……。
そんな私の耳に、何か、小さな音が聞こえる。
……キリキリキリ……という音は、だんだんと私に近づいているようだ。
「……あ……」
それは、大きなバッタの化け物。バッタと言うにはあまりに巨大な、そして凶暴な化け物。
弱った私を、餌として見ているのだろう。恐ろしい顎がカチカチと音を立てていた。
立ち上がれれば、このくらいの化け物は私の敵では無い。
しかし、私の膝は言うことをきかない。息をすることさえ辛く、身体が動かない。
化け物がキリキリという鳴き声を発するたび、一匹、また一匹とその数を増やしていく。
私が動けないことを悟ったのだろうか。
一匹が私に向かい、飛び掛ってきた。それを合図に、集まっていた多くの化け物が一斉に私に飛び掛る。
「……く……っ……あ……」
私は化け物たちを必死に手で追い払う。一匹を追い払っても、次から次に化け物は私を襲う。
「……!」
一匹の顎が、私の足を捕らえる。強力な顎が私の足に食い込む。あまりの痛みに声も出ない。
もう、ダメか……。
私は観念して、抵抗を止めた。



そのとき。
私の足に食らいついていた顎が、外された。

……姫様だった。

姫様が、得意の蹴りを一発、化け物に放っていた。
「かかってらっしゃーい!」
そう言うと、姫様はニヤリと笑って、化け物に向かい、構える。
姫様の蹴りをまともに食らった化け物は、ピクピクと震え、やがて動かなくなる。
それを見た化け物は、一斉にその場から逃げ去って行った。

「なーに、つまんないの」
姫様が構えを解いて、大きなため息をつく。
「で、クリフト。あんた、何しに来たのよ」
……姫様を、お守りするためです。
……そんなことを、この状況で申し上げられるだろうか。
私は情けなくて、顔を上げることすら出来なかった。
「ひ、姫様……」
ブライ様の声がした。息を切らして、辛そうな声。
「このようなところで、危のうございます。すぐに、城にお戻りください」
「イヤ」
いつもの、押し問答が続く。いつもなら私も姫様をお止めする立場にあるものの、今は何も言えない。
「こんなところの化け物はあたしの敵じゃないわ。もっと強い敵と戦いたいの」
「姫様には、強さなど必要ございません。何故、そこまで強さをお求めになるのですか」
ブライ様の問いかけに、姫様が一瞬、言葉に詰まる。
ぺらぺらとお説教に反抗する姫様には、珍しい反応だった。
「……ブライには……わかんないよ、あたしの気持ちなんて」
ふっと見せた、悲しそうな表情。このような表情、初めて拝見したような気が……。
「ちょっと呪文を唱えたら、ぱーん、って爆発を起こしたりすることはあたしにはできないの。だから、あたしは強くなるの。あたしはこれからサントハイムを守っていくんだから。何か間違ってる?」
今度は、ブライ様が言葉に詰まる。

……そうだ。魔法国家と言われるサントハイムで、姫様は魔法を使えない。
魔法力は生まれもってのものだと、伺ったことがある。
姫様は、ちょっと呪文を唱えたら、と申されたが、呪文は魔法力を引き出すためのきっかけに過ぎない。魂の根底に魔法力を持っていなければ、どのような呪文を覚えたとしても、決してその力を発揮することは出来ない。
魔法国家において、魔法を使えない姫様は、どれだけ苦しんだのだろうか。
その結果として、強さを求めるようになられたのだろうか。
そのようなことを、想像したことも無かった……。

「……ブライ様……」
少し息が整った私は、ゆっくりと立ち上がった。
「……姫様の旅立ちを、お許しいただけませんか」



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