◆プロローグ-1-◆

雲ひとつ無い青空に、やわらかな光……。

すごしやすい気温に、さわやかな風……。

安らかな日々が続いているというのに、私の心には、まるで靄がかかったようだ。
何か、胸騒ぎがする。
身体に、生臭い空気が纏わりついているように感じる……。



「クリフト、お主も感じていたか」
私は、この不快さを神官長へ打ち明けてみた。
驚くことに、神官長をはじめ、数人の神官もこの不快感を感じていたという。
「いったい、これは……何なのでしょうか」
清められた教会の中では、生臭さは感じられず、この靄も少し晴れるように感じた。ただ、胸騒ぎだけは収まることは無い。
神官長は祭壇の十字架に向かい、祈りを捧げる。
「判らん。ただ、私たちに出来ることは……祈ること、だけだ」

祈ること、だけ……。

何故か私はその言葉が、胸にちくんと刺さる。
しかし……。

確かに。私には、祈ることしか、出来ない。
この靄を、生臭さを、振り払うことが、出来ない。



「はーなーしーてーよー! もう逃げないからあー!」
聞きなれた大きな声に、私は我に返った。
教会の中にまで聞こえる大きな声。
「また、アリーナ様か……」
神官長は今までの険しい顔から一変して、いつもの優しい顔に戻っていた。
「……失礼します」
神官長に一礼すると、私は急ぎ足で教会の外へ出た。



「あ、クリフトー! ちょっと、助けてよー!」
「姫様……またですか……」
助けて、とおっしゃっている割には、何故そのように満面の笑みなのですか……。
そう思っていると、姫様の両脇を抱えていた兵士が顔を見合わせ、私に近づく。
「クリフト殿……では、あとはよろしく……」
「え」
そう言い残すと、兵士は姫様を置いて早足で城へ戻ってしまった。
姫様は、勝ち誇った顔で、ニコニコとしながら私の顔を見上げている。
私は、ひとつ、大きなため息をつく。
「……姫様。また、お城を抜け出されたのですか……」
「だってー、いいお天気だったし……」
腰まで伸びた美しい巻き髪を揺らしながら、姫様は空を見上げる。
ふと、私の方を向いた透き通る瞳。思わず、私の顔が赤くなる。

姫様は、この生臭いような空気の気配に気づいていないようだ。
わざわざ申し上げて心配をかけることもないだろう。
「とりあえず、お城に戻りましょう。私も参りますから」



王様と大臣、そしてブライ様が、姫様にいつもと変わらないお説教をされている。
姫様もいつもと同じ、はいはい、という返事を繰り返す。
いつもと同じ、変わらない日常。それなのにやはり心の靄が気にかかる。
「クリフト」
「……は、はい」
ふと、王様が私の名を呼んだ。突然のことに思わず声が裏返る。
「……気分でも、悪いのか。顔色が良くないぞ」
王様の言葉に私は息を呑んだ。
気にしていることを見透かされたような気がして。
「いえ、何でもありません。お気遣いありがとうございます」
そう言うと私は笑顔を作った。



私は昔から笑顔が苦手だ。
心の底から笑顔を作ったことが無い。
……いや、笑顔は……作るものでは、無いのだろう。
姫様にも、幾度となく言われた。

『クリフトの笑顔って、どうして、そんなに寂しそうなの?』

まるで存在そのものが笑顔の塊のような、光の集まりのような姫様に比べると、私は全てが、影。
ただ……。
私が、たとえ作り笑顔だとしても、笑顔を見せられるようになったのは、王様のお心遣い。
幼い私の心を助けてくれた……姫様のお傍に仕えることで。



姫様はそのまま、お部屋で謹慎ということになった。
私は王様に最敬礼をし、玉座を後にした。

「クリフト」
今度は、ブライ様が私のことを呼び止めた。
「神官たちから、気がかりな話を聞いた。空気が、何か澱んでいると」
「……」
素直に答えるべきか、それとも誤魔化すべきか。私は躊躇する。
「……そうか、お主も、気づいているのか」
そんな私を見て、ブライ様はお気づきになられてしまったようだ。
……相変わらず、私は嘘も下手だ。
「そう、ですね……何か、生臭い空気が、私の周りを包んでいます」
「神に近しい者のみが感じているということか」
「はい。神官以外でこのような空気を感じている方もおりませんし、神官の中でも感じていない者もおります。これがサントハイムだけのものなのか、それとも……」
ブライ様は私の次の言葉を、手で制止する。
ここには、人目があった。聞かれては不安を煽ることになるだろう。
「少し、詳しい話を聞かせてもらえるか」
私はブライ様の後につき、玉座の近くにある小さな部屋へ入った。



ブライ様としばらく話を続けた。
どのくらいの時間が経っただろうか。
部屋の外がばたばたと慌しくなった。
「どうした、騒々しい」
ブライ様が部屋の扉を開け、兵士に声を掛ける。

「ブライ様。大変です。アリーナ様が行方不明です」



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