◆偽りの姫-8-◆

その日の、朝を迎えた。

姫様は今日も偽りの姫の代わりをする。チャパラさんとムカロさんが姫様の共として、またブライ様がさらにその見張りとして宿を後にする。

私に、声はかからなかった。
私の身体を気遣ってのことなのか、単に無視されているだけなのか。どちらであったとしても、私は騒々しい出来事に巻き込まれなかったことに安堵した。

寝返りを打つ。
身体中が、痛い。

窓の外から姫様の笑い声が聞こえる。
何だか、切ない。あの声を独り占めしたいと思ってしまう、醜い独占欲。
叶わぬ愛なら、せめて夢の中で。私は、もう一度、目を閉じた。



「クリフト。いつまで寝てるの」
姫様の声で、私は目を覚ました。愛しい人の笑顔が、そこにはあった。
「姫様……」
私はそっと姫様の身体に腕を伸ばして、その身体を抱きしめる。暖かくて柔らかくて。愛しい存在。
「やめて。違う……」
そっと、姫様は私の身体を突き放す。
「私は。あなたの姫様の代わりなんかじゃない。私は、私。……メイって呼んで」



「──!」
身体中に、冷や汗。いつの間にか傾いている陽。……夢か。
目覚めは悪いものの、身体はだいぶ軽くなった。旅を始めて、久しぶりにぐっすりと眠ったような気がする。大きくひとつため息をついて、身支度を整える。
そろそろ、準備しておこう。私は、黄金の腕輪を手に取った。ふっと、私を包む生臭い空気が揺らぐ。もう一度、腕輪に刻まれたルーンを眺める。人間も魔物も魅せられるような妖力が籠められているように感じた。
死ぬよりつらい、地獄。一体何が私を待っているのか。本当に、これで良かったのか。魔物にこの腕輪を渡してしまって良いのか。何か、胸騒ぎがする。でも……もう戻れない。腕輪に刻まれた言葉──進化の秘法。この言葉が、気になる。



教会で清められた剣を受け取る。すっかり穢れの取れた剣は、私の手にしっくりと馴染む。狂ったように、何かに憑かれたかのように剣を振り回していた、記憶。生暖かい血液が私に降り注ぐ感触を思い出すと寒気がする……。
軽く剣を一振りすると鞘に収め、礼を言って教会を後にした。

後は、待つだけ……。
メイさんと話した、あの椅子に腰掛けて、私は沈む陽を眺める。



お祭り騒ぎは続く。あの墓守以外、誰もメイさんを偽りの姫だとは思わなかったのだろうか。隣国とは言っても、姫様のことを知っていても良さそうなのに。姿が似ているだけで……。姫様と拳を交えた魔物までもが、姫様と間違えるなんて。
ひんやりとした空気。──ぽつり、ぽつり、と、雨粒が私の顔に当たった。
「雨……」
姫様たちは急ぎ足で宿に戻る。姫様の周りを囲む人々も、家路を急いだ。
雨粒はだんだんと激しくなり、私の身体を濡らす。冷たい雨は私の身体から体温を奪い、身体を震わせた。
そろそろ、この雨も──雪に変わる季節になるのだろう。

雪は……嫌いだ。



「お待たせしました。おや、ずぶぬれですね」
憎たらしい魔物の声が、激しい雨音の中に聞こえた。魔物の周りには──何かの膜だろうか、それが雨粒を退けていた。
メイさんと背後の男たちは、私と同じように、ずぶぬれだ。外傷は無いようだ。少し顔色が悪いものの、元気そうで安心した。
「どうでしょう、黄金の腕輪はお借りできましたか?」
──私は黙って、腕輪を差し出す。魔物がその腕輪に近づこうとしたとき。
「姫様が先です。姫様をこちらに渡してください」
腕輪を持つ手を下げた。魔物が腕輪だけを奪い取って、メイさんを返してくれない可能性も充分考えられる。
「嫌ですねえ、信じてくださいよ。私は腕輪が手に入ればいいんです」
「姫様に土下座して謝ったくせに、悪事を繰り返すあなたを信用しろということは無理です」
魔物は苦笑いしたかと思うと、男たちに何か指示をした。男たちはメイさんを拘束する腕を解く。

「──クリフトさん……!」
メイさんが私の元へ駆け寄る。私も一歩前へ出て、その冷え切った身体を抱きしめた。
「メイさん。申し訳ありませんでした。このような危険な目に合わせて……」
「いいんです。私が悪いのです。本物の姫様にお怪我が無くてなによりです」
「あのー、いちゃつくのは構いませんが。腕輪、いただけませんか?」
持っている杖で、魔物は私の身体を小突いた。私は魔物の方を見ることもなく、腕輪を軽く放り投げた。
腕輪を拾い上げた魔物は、何か喜びの声を上げている。私たちにも何かを言っているようだったが、私の耳には入らない。



私は──ただじっと、雨に濡れながら、メイさんの身体を抱き続けた。



そのうち、魔物は姿を消したようだった。
……終わった。全ては、終わったんだ。これで……。

「……う……っ……」
私の目から、涙が溢れる。堪えることもできず、メイさんの身体を抱きしめる腕に力を籠めて、涙を流し続けた。
嬉しさ。悲しさ。切なさ。やるせなさ。悔しさ。ふがいなさ。愛しさ。色々な感情が渦巻く。
メイさんも、私の背に回した腕に力を籠めた。

「……ごめんなさい。ごめんなさい。メイさん……。私は……私は……」
「……何も、言わないで……」

メイさんの声も涙声だ。お互いにお互いの傷を舐めあいながら、雨の中、ただ、じっと……。



──私たちを見つめる、本物の、姫様の視線には、気づかないまま──。




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