◆偽りの姫-7-◆ 夕焼けが美しく海に沈むころ、私はフレノールに辿り着いた。 街の人々は私の姿を見るなり眉を顰め、女性や子どもは悲鳴を上げた。一刻も早く……この穢れを洗い流したい。清潔な服装に着替えたい。私は周囲の目線など気にすることなく、まっすぐ宿へ向かう。 そういえば。偽りの姫が消えたというのに、フレノールはお祭り騒ぎが続いていた。宿に向かう途中の広場に人が集まっている。 「……あ……」 美しいドレスを纏った姫様が、いる。……姫様……? メイさんは、ここにはいないはずだ。それならばあの姫様は……。 「クリフト!」 ああ、そうだ……私の主君……本物の姫様だ。 本物の姫様が、偽りの姫のふりをしているのか。本物が偽者の身代わりなんて……あまりに滑稽な状況だ。 「……どこに行ってたの。メイさんはどこ。一緒じゃないの? どうしたのその格好は……」 「……事情は後で話します。申し訳ありません……」 一刻も早く、この忌々しい穢れを落としたい。既に血液はどす黒く凝固して、異臭を放つ。耐えられない……。意識がぼぅっとする……。 私は姫様の目を見ることも無く、宿へ向かう。目を見ることができなかったのは……気づいてしまった、姫様への想いのためなのか。 あの神官服はもう清めても無駄だろう。後で教会で火を借りて、燃やしてしまおう。そのついでに聖水で剣を清めていただいて……そんなことを考えながら、私はひたすらに風呂場で身体を洗う。洗っても洗っても忌々しい気配が消えず、元々私を包んでいた生臭い空気との区別がつかない。ただひたすらに、髪の一本一本、爪の隙間ひとつひとつまで、私は身体を洗い続ける。 次第に鼻に入る臭いは、やわらかな湯と石鹸の香りのみになる。少し熱めの湯をかぶると、こすり続けた肌にひりひりと沁みた。 「ふう……」 やっと、やっと終わった。急激に襲ってくる疲れと眠気。でも、まだ全ては終わっていない。 重い身体を動かして、私は清潔な服装に着替える。手にはさっきまで身に着けていた神官服と、剣。布に包んで、私は再び宿を後にした。 欠けた月が、空に浮かぶ。 そういえば、ネビンズさんは、私が異性を好きになれば、私は変わることができると言っていた。 ……愛してはいけない人を愛してしまっても、変わることはできるのだろうか。 叶うことの無い愛の前に、私は笑顔など見せることはできない。 血塗られた服と剣を教会に預け、神に祈る。 この血は人を守るため。正しき道を歩もうとしている人を守るために闘った証です。どうか今ひとたび、私に神聖呪文の加護をお与えください……。 血塗られた服は祭壇の蝋燭によりその役目を終え、剣は鞘と一緒に聖水に浸される。これだけの穢れではすぐには清めることは無理だろう。明日、魔物と会う前……夕刻に引き取りに来る旨を伝えて、私は教会を後にした。 「メイをどこへやった」 ──教会の前には、チャパラさんがいた。 「お前はメイに何を吹き込んだんだ!」 チャパラさんは、私の胸倉を掴むと、大声で叫ぶ。しんとした夜の街にその声が大きくこだました。 「……私は、何も、言っていません。この過ちの道に気づいたのは、メイさん本人です」 チャパラさんは、私がメイさんをどこかへ連れ去ったと思っているのだろうか。言えない。私のせいで魔物に捕まっているなんて。 「……じゃあお前は昨日の夜から今まで、どこで何をしてた。お前の仲間に聞いても知らねえって言うしよ。本物の姫さんをほっぽり出してまで、何をしてた。何で血まみれで帰ってきたんだ。メイを危険な目に合わせたのか。……まさか、お前がメイを」 「言えません」 「言えよ!」 「……全ては、明日。明日、お話します。ですから……今は、言えません。申し訳ありません」 少し乱暴に、私はチャパラさんの手を振り解く。そう、全ては明日にならないと、判らない。魔物が無事にメイさんを返してくれるのかどうかも。 チャパラさんはまだ何かを言っているようだが、私は相手にすることなく宿へ戻る。 宿には怖い顔をした姫様と、ブライ様。 ……それは、そうだろう。主君を置いて勝手な行動を取ってしまったのだから。 「クリフト。どこへ行ってたの。メイさんはどこ」 同じ問いかけ。聞かれることは判っていても、少しうんざりする。 「……答え次第では、お前を処罰しなければならん」 「……!」 ぼんやりとしていた頭が、ブライ様の一言で急に冴える。そうだ。私は主君を放り出して、自分勝手な行動をしてしまった。もし、もし……姫様の御傍から離されるようなことがあれば……。 「話せ。お前の処罰はそれから決める」 どうしよう。ここで話さなければ、きっと城に送還されるだろう。ブライ様の目は、そう言っているように見えた。 「……」 でも。でも、言えない。あと少し。明日の夜まで……。 「……明日。明日には……必ず、お話しします。お願いします。もう少しだけ、時間をください」 メイさんを魔物に奪われたのは私の失態。誰の手を借りることも無く、私は私の力でメイさんを取り戻したい。それがたとえ遠回りで、力不足で、ただの意地だとしても。 そっと姫様のお顔を見ると、怒っているような、悲しんでいるような、心配しているような……不思議な表情。しかし私はその表情に、何か人の醜さを感じてしまった。……何故だろうか。 そのまま、姫様はくるりと後ろを向いて、ドタドタと二階へ上がってしまった。 「……姫様は」 ブライ様が、私の背を軽く叩く。 「お前は、自分に隠し事なんてしない。何があっても自分の味方でいてくれる。誰より自分を大切にしてくれている……お前のことをそう思っていたそうだ」 ……それは、間違いでは無い。むしろ、そう思っていただけていたということを光栄に思う。 「しかしお前は姫様を置いて行った。今朝、姫様がどれだけ悲しんだか、お前には判るか」 「……え……」 「お前が思う以上に、姫様はお前を頼りにしておるんだ。そのことを、少し自覚してくれんか」 どうして。私は姫様を悲しませた。それなのに、それなのに……。 ──ブライ様の言葉に、私は、嬉しさを感じた。姫様が私のために悲しんで、心配して……姫様の心に、私がしっかりと存在している事実を知って。 ……たとえそれが、臣下に対するお気遣いであっても。 「申し訳ありません。本当に……勝手を申していることは判っています。全てが終わったら、お話しします。どのような処罰も受ける覚悟です」 私が姫様にメイさんのことを言えない理由が、他にも、ある。 ──後ろめたい気持ちが、確かに、ある。 姫様を一番に想っているはずなのに、他の女性に身体を張って。 一体、私は、何をしているんだろうか、と。 |
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