◆偽りの姫-6-◆

洞窟の中はひんやりとした空気に満ちていた。少し湿った岩肌に気をつけながら、私は一歩一歩確実に足を進める。
少し行くと、天井は低いものの、ひらけた空間に出た。道に迷うような洞窟ではないことに安堵する。辺りを見回すと、いくつかの人骨らしいものが散らばっていた。化け物にやられたのか、黄金の腕輪に触れたものの成れの果てなのか。

いくつかの石箱を開けてみる。しかしそれらは薬草や僅かなゴールド。黄金の腕輪を目指す者への目晦ましなのだろうか。そんなことを考えていると、背後に生暖かい息遣いを感じた。
「……!」
いつの間にか、私の周囲に数匹の暴れ牛鳥が集まっていた。荒い鼻息は、久々に現れた獲物に歓喜しているかのように感じる。
私は剣をそっと抜き、じりじりと後ずさる。……私の背に、冷たい岩肌が触れた。行き止まりだ。
「くっ……」
行くしかないのか。私は、剣を構え、振り下ろした──はずだった。
「……っ!」
ガチン、と、嫌な音がした。私の長身の剣は、この洞窟には長すぎた。振りかぶった剣が、洞窟の天井に当たって、ビィンと鳴った。その振動が手に伝わり、痺れが腕を伝う。
私の動揺を察した暴れ牛鳥が一斉に私に襲い掛かる……!
「うぁっ……」
腕に、足に、一斉に食らいつく暴れ牛鳥。生臭い獣の臭いがする。
──嫌だ……気持ち悪い……っ!
私は必死に、剣を水平に振り回した。数匹の暴れ牛鳥に命中し、その血液が私に雨のように降り注ぐ。
突進してくるものには、剣を突き刺した。その剣を引き抜くと、血液が噴出し、私の身体を血に染めていく。

どのくらい、私は剣を振り回しただろうか。
夢中で、覚えていない……。

ふと気づけば、洞窟の中には、静寂。暴れ牛鳥以外にも、見たことの無い化け物の死体が転がっていた。いつ、こんな化け物と闘ったのだろうか。記憶に、無い。ただ身体中が化け物の血にまみれ、嫌な臭いが私の身体を包む。噛まれた腕が、足が、痛む。掌を当て、治癒呪文を呟いた。
「……ダメ、か……」
既にその元の色味さえ見えない神官服。血を忌み嫌う神聖呪文は、その効果を発動しない。いつの間にか床に転がる明かりを再び手に取ると、薬草を傷口にあて、その傷が癒えないうちに洞窟の中を彷徨い歩く。
もう、化け物の気配は、無い。血にまみれたままの剣を、鞘に納めた。

暗い洞窟の中に、小さな頼りない明かり。私はすみずみまで洞窟を照らし歩く。自らが倒した化け物に蹴躓いて転ぶことも幾度か。
「あ……」
ふと、足元に書かれたルーンを見つけた。これは、初歩の結界だ。手を伸ばして明かりを結界の中に向けると、小さな石箱が、そこにはあった。
「これだ……!」
私はその石箱が、墓守の曽祖父が作ったものだろうと確信した。逸る気持ちを抑え、膝をつくと、ゆっくりとその石箱をひらく。



──からっぽだ。



「どうして……!」
私は拳を地面に叩きつけた。悔しくて、ぐっと奥歯を噛み締めた。
……そうだ……多くの人間だけでは無く、魔物までもが欲する宝。それが墓守の曽祖父の時代から、無事に残っているはずなんて無いのに。
……どうしたらいい。
魔物に、ありませんでした、などと言ったところで、はいそうですかと終わるはずは無いだろう。
「もしかしたら……」
今まで、いくつもの石箱を開けてきたはずだ。この結界も、石箱も、盗掘者を惑わせるだけのものかもしれない。まだ見ていない場所もあるはずだ。私は立ち上がり、もう一度、この洞窟を彷徨い歩く。

時間が、無い。今、どのくらいなのだろうか。既に陽が暮れていたりしないだろうか。だけど慌ててしまえば、見つかる物も見つからないかもしれない。慎重に、慎重に、私は辺りを照らし歩く。

その明かりに反射し、キラリと光る物が、一瞬、見えた。

「……!」
私はその光る物に向かい、走り出した。しかし見逃すことが無いよう、慎重に。明かりを向けたその先には──人骨。

「あった……!」

白骨化した腕に、光る物。それは──黄金の腕輪。

私は腕輪に手を伸ばそうとして、ふと、墓守の言葉を思い出す。
「死ぬよりつらい……地獄……」
こみ上げてくる恐怖をぐっと飲み込み、私は、震える手で、腕輪を取った。

太古の昔から伝わっているであろうその腕輪は、少しも色褪せることなく、妖しい輝きを静かに放っている。よく見れば、模様かと思っていたものは、ずっとずっと古代の、ルーンのようだ。神官学校で学んだものより古いもので、全てを読むことはできないが、幾つかの単語を読み取ることができた。
「……人類……道……天空……より……広い……大戦……」
その先ルーンに、私のなぞる指が止まった。
「……呪い」
ぞくりと悪寒が走った。しかし、その先のルーンは、私が知らないはずの言葉──。



「……進化の秘法」



その言葉を口にしたとき、私の周りを包んで離れない生臭い空気が、ざわざわと騒ぎ始めた。心臓が早鐘を打ち、身体中が震える。言いようの無い、恐怖が襲う。思わず腕輪を落としそうになり、慌ててその手に力を籠める。

「……戻らなくては……」
既にからっぽになった腰の袋に腕輪を入れて、私は出口へ向かった。出口の方向からは、まだうっすらと明かりが漏れている。まだ、陽は暮れていないようだ。
しかし外へ出ると、太陽は既に傾き始めている。
照らし出される私の身体は、どす黒い血にまみれ、とても聖職者には見えない。姫様に見られたら、驚かれるだろうな……。それとも、私がひとりで腕輪を取りに行ったことに、驚かれるだろうか。

フレノールでは、偽りの姫が姿を消したことで、騒ぎになっていたりしないだろうか。
私は急ぎ足で、フレノールに向かった。




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