◆偽りの姫-5-◆

小さな明かりを手に、私は南下する。街の明かりは遠のき、鬱蒼と茂る森や、冷たく聳える山々が、私の恐怖心を煽り、身体を震えさせる。
狼のような、遠吠えが聞こえた。幸いにもこの辺りは魔物や化け物は少ないようだ。周囲を警戒しながら、一歩一歩、進んで行く。

街の明かりがすっかり見えなくなった。
同時に、私は深い森の中に足を踏み入れた。身体ががくがくと震える。怖い、怖い……。
胸のロザリオを握り締め、神に加護を乞う。小さな物音ひとつが聞こえるたび、私は背の剣に手を伸ばした。足が重い。一歩を踏み出すことが躊躇われ、時間だけが過ぎて行く。

──ダメだ。この暗闇に打ち勝つことができない。
私は、茂みに腰を下ろした。

明るくなるまで、待とう。
ひとりでいることが、これほどまでに心細いとは想像もできなかった。強張っていた身体のあちこちが痛い。本当はこんなところで座り込んでいる時間が惜しい。けれど、暗闇を進むことは危険だ、むやみに進むことだけが正しい訳では無い……そんな言い訳を、私は自分に言い聞かせる。



どうして私は、今日出会ったばかりのメイさんに、守るべき主君を街に残してまで、尽くしているのだろうか。私自身が、メイさんを姫様の代わりとして見ているのだろうか。
──それは、違う。
姫様は姫様であって、メイさんはメイさんだ。例え見た目が酷似しているからといって、簡単にメイさんを姫様として見ることなど、出来ない。
姫様を抱き寄せた感情と、メイさんを抱き寄せた感情。
……それは、確かに、違うものだった。

何だろうか。どうして私は、あの籠の中で、姫様の身体を抱きしめたいと思ったのだろうか。姫様の身体に触れたいと思ったのだろうか。姫様と少しでも、ほんの少しでも距離を縮めたいと思ったのだろうか。
「……姫様……」
ふと、私の口から、小さな声が漏れる。同時に、ひとつぶ、涙がこぼれた。
「……?」
胸が、痛い。この感情は、何だろう。遠く、遠くに封印した、心を切り裂くような。苦しい。切ない。もう一度、私は、姫様をこの腕の中に抱きしめたい。いや、願わくば──
「……!」
全身に、鳥肌が立つ。認めたくない想い──。



──私は、姫様を、愛しているのか──?



「……違う……」
私は頭を強く振る。そうだ。これはきっとこの闇に耐えられない私の弱い心が、姫様という心強い存在を求めているだけだ。……けれど、けれど……。

姫様への愛など、叶うはずが無い。
王様は私が人を愛せないことを知っていて、だから、姫様の御傍に置いてくださっている。
こんな想いがもし人に知られたら、私はすぐにでも姫様の御傍から離されるだろう。
手の届かない姫様の代わりに現れた、姫様の「入れ物」。私は、メイさんをそんな目で見ているのか?
遠い、遠い、どんなに手を伸ばしても届かない姫様より──僅かでも望みのある、姫様の「入れ物」に。

──怖い。
愛は見返りを求めない、尊いもののはずだ。それなのに、苦しい。切ない。これが愛だというのなら、私は、思い出したく無かった。今まで私の元を訪れた、叶わぬ愛に苦しむ人々は、このような気持ちを抱えていたのだろうか。

愛とは、見返りを求めないものです。
愛とは、尊いものです。
愛とは、無償に与えるものであり、与えられることを望むものではありません。

奇麗事だ。
絵空事だ。
くだらない、言い訳だ。

そうだ。私は姫様に愛されたい。姫様の、唯一の、一番の、男になりたい。姫様を抱き寄せたこと、それは姫様を欲する私の本能だ。……何が悪い。愛を知らずに育った私が、愛を求めることは必然だ。

──でも……。

叶うはずの無い、愛だ。もう一度、私は、あの気持ちを味わうことになるのだろう。それは……嫌だ。思い出したくも無いのに、忘れることもできない。それならば、この想いはただ胸に秘めて──臆病かもしれないけれど、卑怯かもしれないけれど──。

私は、姫様の御傍を離れたくは、無いから……。
私は、もう、何も失いたくないから……。

そうだ。それで、いいんだ……。
耐えて、耐えて、耐えていれば、私は姫様の御傍にいることができる。
例え、姫様の、唯一の、一番の、男になることはできなくても……。
例え、姫様が愛する人と結ばれるその日を迎えたとしても……。



夜の森の闇は、私の心を狂わせるには充分だった。
逃げ場の無い想いが頭を、心を、全身を駆け巡る。早く、光が、欲しい。私は祈る、ただひたすらに、この闇が──夜の闇と、心の闇が──早く、消え去ることを。



震える唇が、神への祈りの言葉を囁き続ける。
神に祈ることしかできない、弱い私の心が──。



いつしか、夜が明けた。
暗い森の中では、多くの光を感じることはできないものの、私の心を正常に戻すには充分な光だった。
……そうだ、あの想いは、闇が見せた幻だ。私は立ち上がって、森を進む。途中数匹の化け物と出会ったものの、私は迷い無く剣を振るった。もう、大丈夫だ。

しばらく進むと、岩山の中に、私の背丈ほどの穴がぽっかりと開いているのが見えた。明らかに自然のものではない、人の手が加えられた穴。
再び闇に進まなければならないと思うと、心が揺れる。しかし、目を閉じると浮かぶのは、メイさんの姿。
「メイさん……必ず、助けます……」



決意の中、目を開くと、私は自ら闇の中へ足を踏み入れた。




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