◆偽りの姫-3-◆

「……犯人は、私の伯父です。怨恨……とはいっても、逆恨みの、卑劣な犯行でした。……私は逃げて……身体を切りつけられても必死に逃げて……」
メイさんの瞳から、涙が溢れる。まるで、姫様が私の前で涙を流しているような錯覚に陥り、目の前にいる女性は姫様では無い、と自分に言い聞かせる。
「どこを、どう逃げたのかは、覚えていません。ふと、目を覚ますと、そこにいたのは、チャパラと、ムカロでした」

涙を流しながらも、気丈に振舞うメイさんの姿が、姫様と被る。この方は、姫様と同じ魂を所有しているような、不思議な存在だ。よくある陳腐な物語のように、生き別れの双子という訳でも無いというのに。

「あの二人は、しがない盗賊でした。海岸に倒れていた私を介抱してくれていたのです。最初は……盗賊という肩書きに偏見を持っていました。けれど……二人は私を快く迎えてくれました。そのときの私に、何より欲しかった温かさが……そこには、あったのです」

……そうだ。その気持ちは……私と同じだ。痛いほど、よく判る。メイさんの姿が姫様に、心が自分に重なる。放っておけないと感じたのは、このためなのだろうか。

「そのうち、私の姿が、サントハイムのアリーナ姫様に瓜二つだという話を、酒場でムカロが仕入れてきたのです。姫様のフリをすれば、きっと、行く先々で大歓迎されるだろう、と……」
私は黙って、メイさんの話に耳を傾ける。私も一歩間違えば、人の道に外れたことをしていたのかもしれない。私を快く迎えてくれた、王様や王妃様、神官長への感謝の気持ちが浮かぶ。
「……楽しかった。以前のように美しいドレスを纏って、豪華な食事をして。誰もが私に傅き、貢物を捧げて……チャパラとムカロに、これで、恩返しができたという気持ちもありました……!」
「……!」
今まで気丈に振舞っていたメイさんが、私の胸に顔を埋める。声をあげて泣き、私の身体に縋りつく。その姿に姫様が重なり、少し戸惑いながらも、私はメイさんの身体を抱き寄せた。



テンペでの私の失態が蘇る。
二人きりになった薄暗い籠の中で、私は、私は……。
……しかし、今、メイさんを抱きしめている感情は、あのときとは全く違う……。



「……でも。でも、私がしていることは、人を、騙していることなんです。この街でも、ほんの僅かな蓄えを、私に、差し出そうとするご老人が、いらっしゃいました。私がしていることは……なんて、酷いことなんだろうと。そんなときに、本物の、姫様のお姿を見て……」
「……判りました。メイさん、判りました……」
私はメイさんを抱く腕に力をこめる。私に、何ができるというのだろう。自分自身すら乗り越えることができない私に。私はメイさんを抱きしめることしか、できなかった。ただ、メイさんが欲する温もりは、縋りつく今の状況以外にも存在することを伝えたくて……。

「……申し訳ありません。神官という身でありながら、私には、貴女の心の傷を癒すことができません。ただひとつ、判ってください。過ちに気づいた貴女の心は、正しいものです。それを、信じてください。この過ちから抜け出して、もう一度、姫様の偽者などではなく、メイさん本人としての人生を歩んでください」

……そうだ。メイさんはメイさんであって、決して、誰かの偽者では無い。
私も、メイさんを見るたびに浮かぶ姫様の姿を振り払おうと、頭を軽く振る。誰かの代わりで存在するということは、酷くつらいことだろう。ここに確かに存在しているにも関わらず、その存在を認められないのだから……。



「おや、神官さんとお姫様は、そのようなご関係でしたか、失礼失礼」
「……!」
聞き覚えのある嫌な声に、私はメイさんから身体を離した。そのとたんに、私の周りを包んでいた生臭い空気がその密度を増していることに気づいた。……メイさんの湯上りの香りが、私の感覚を鈍らせていたようだ。迂闊だった。
「昨日はどうも。名乗る間もなくよくもまあやってくれましたね。私、カメレオンマンです」
テンペで確かに姫様が懲らしめたはずの魔物だ。私は思わず、手に握る杖に目を移す。私を眠らせた杖はブライ様が取り上げたはずだ。今度の杖は一体……そう思うと、私の身体が恐怖に震える。

「……な、何を……」
「あなたたちが邪魔してくれたおかげで、生贄の儀式を完了させることができませんでした。この責任を取っていただかないと……そう思いまして、ね」
暗闇から現れたのは、魔物ではなく、人間だ。屈強な身体をした男が、ふたり。
……今の私は、武器など持っていない。武器があったとしても敵うかどうか判らないというのに、素手でどうにかなるはずはないだろう。私は、メイさんの身体を近くに寄せ、逃げるタイミングを計る。
メイさんの身体も、恐怖でがくがくと震えていた。
「素敵ですね。恋人を守ろうとするのですか、あなたみたいなへたれ神官でも」
「……ち……違っ……」
それは恋人という言葉に対してなのか、メイさんを姫様と勘違いしていることに対してなのか。しかし、一瞬私はその言葉に動揺し、メイさんの顔をチラリと見てしまった。

男たちは、その一瞬を見逃さなかった。

見た目よりずっと素早い動きで近づき、私とメイさんの頭を同時に殴りつけた。視界が揺れ、なんとか倒れまいとする私の意識をかき消して行く。膝から力が抜け、その場に崩れ落ちる。
「昨日は先手を取られましたが、今日はそうはいきません。完了させることができなかったとはいえ、一度は生娘の生贄を手にした私です。単純な人間を操ることなど、容易いことです。あなたたちには、簡単に負けませんよ?」

ひとりの男は、先ほどの一撃で気を失ったメイさんを脇に抱え、魔物の元へ連れて行く。もうひとりの男は、私の髪を掴んで身体を無理矢理持ち上げると、強烈な蹴りを私の腹に入れた。
「……ぐっ……」
頭を殴られて朦朧としていた意識が、その一撃で鮮明に戻る。同時に、強い痛みが私を襲った。私はその場に蹲り、強く咳き込んだ。うっすらと、血が地面に飛び散る。
「神官さん。お願いがあるんですよ」
魔物は動けない私の前に屈みこみ、わざとらしく、我儘を言う子どものような可愛い仕草を見せた。
「この街に、黄金の腕輪があるという話を耳にしました。それが欲しいんです。ほら、私みたいな不細工な者は信用されにくいんで、簡単には貸していただけないでしょう。ちょっと痛い目を見せて差し上げれば良いかとも思ったんですが、まあ、無益に人を殺めることは、ねえ」
それでも私はなんとか起き上がろうと、全身に力を込める。しかし、魔物は私の頭を簡単に押さえつけ、撫で回すような仕草を見せた。
「その点、神官さんは信頼度抜群でしょう。ちょっと借りてきてもらえませんか。タダでとは言いませんよ。借りてきていただけたら……」
魔物は私の頭を撫で回す手を止め、耳元で薄気味悪く囁いた。

「……あのお姫様を、あなたに差し上げましょう」

……人質、か……!

「ちょっとこのお姫様には痛い目に合わせられましたからねえ。どんな辱めを味あわせてやりますかねえ……そうだ」
魔物は立ち上がり、メイさんの姿をためつ眇めつ眺める。
「どうでしょう、お姫様を女にして差し上げるというのは。……その神聖な瞬間を、神官さん、あなたに見守っていただきましょう。残念ながら、お相手としてご招待することはできませんが」
「……!」
私は一瞬、その言葉の意味を図りかねた。しかし……すぐに、その恐ろしい考えを理解し、身体中が怒りと恐怖で震え、鳥肌が立つ。
「……やめ……判り……判りましたから……」
「聞こえませんよ」

何という屈辱感だ。地面に這い蹲り、女性ひとり守ることもできず。こんな魔物の言いなりになるなんて。
姫様は自らの知略と力で、この魔物から村をひとつ救ったというのに。
──悔しい、悔しい、悔しい……。

私は……ゆっくりと、立ち上がった。
「……判りました。何とかします。黄金の腕輪、でしたね……」
「そうです。まあ、二日もあればいいでしょう? では、二日後の夜に、お待ちしていますよ」



魔物はメイさんと男を連れて、ゆっくりと暗闇の中に溶け込んでいった。
──私は、その姿を、ただ眺めていることしかできなかった……。




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