◆偽りの姫-2-◆ ことん……。 ブライ様が手に持つ杖を倒した音に、私は我に返った。 そうだ。目の前にいるのは、たとえ似ているとはいっても偽りの姫だ。 「……あなたが、姫様ですね」 明らかに困惑の表情を浮かべている偽りの姫に、私は他の者に判らない程度に軽く頷いた。本物の姫様がいらっしゃるからといって、ここで偽者ということを明かす必要は無いだろう。 「……はい。アリーナです」 私の真意を汲み取っていただけたのか、偽りの姫は自ら姫様の名を名乗る。 「私どもは旅の者です。高齢の者を抱えて、難儀しています。姫様がお泊りということで宿を断られ困っているところです。どうか、この宿に泊めていただけませんか」 本来なら老人扱いされると機嫌の悪くなるブライ様が、わざとらしくゴホゴホと咳き込み、姫様がその背中をさする。 偽りの姫は私の申し出に、安堵された様子で、笑顔を浮かべた。 「ええ、もちろんかまいません。私たちの他にお客様がいらっしゃらないので、少し疑問に思っていたのです。ご主人、私たちにそのようなお気遣いは無用です。宿をご希望の方がいらしたら、お部屋のご用意を」 ……信じられない。演技には見えない。このような方がなぜ人々を騙しているのか。従者に弱みでも握られているのだろうか。少し、心配になる。 「じゃあ、あたしたちは先に部屋に行ってるね」 姫様はできるだけ顔を伏せながら、ブライ様の手を引き、宿の主人の後について二階へ上がっていく。姫様の姿が見えなくなると、偽りの姫の表情が再び、曇る。 「あの、私……」 「姫様。ありがとうございます。助かりました」 私は偽りの姫の言葉を遮った。姫様を騙ること、人々を騙すことは決して許されることでは無いが、この場でそれを明かすことで、この方が街の人々から責め立てられることは避けたいと思う。 私は一礼すると、姫様の後を追って、階段を上がる。 「神官さま」 呼び止めた声は、偽りの姫のものだった。 「あの。名前をお教え願えますでしょうか」 「……クリフトと申します」 再び小さく一礼すると、私は部屋へ向かった。 背中に、偽りの姫からの寂しげな視線を感じながら……。 夜、私は一人、湯に浸かりながら、偽りの姫のことを思う。 どこか、何となくではあるものの、私と同じ、何かを心に抱えたままの雰囲気。いくら外見が姫様に似ているとはいっても、姫様では無い。あの気品は一朝一夕で身に付くようなものでは無い。何故、姫様の名を騙るようなことをされているのだろう。 ……私は、あの方を放っておけない。誰かの偽者などでは無く、一人の人間として、自分自身として、存在して欲しいと願う。 ふと、私は自分の身体に、無数の傷跡があることに気づいた。 姫様は私などより、怪我が耐えない。姫様の身体にこのような傷跡をひとつたりとも残すことが無いよう、注意しよう。……私が姫様にできることは、それだけなのだから……。 心地よい湯の中で、私は自らの胸の傷跡をそっと撫でた。 ……身体の傷は、すぐに癒えるものなのに……。 もし、あの偽りの姫が、私のような心の傷を負ったままであるのなら、その傷を癒せる方法は無いだろうか。偽りの姫のためにも、……私のためにも。 「あ……クリフトさん」 部屋へ戻ると、扉の前に偽りの姫が佇んでいた。どうやら湯上りのようで、少し濡れた髪を下ろし、ゆったりとした品の良いローブを羽織っていた。上気した肌は薄い紅色を差し、美しさに磨きをかける。 「……あ、ええと……」 名を呼ぼうとして、その呼び名が無いことに気づく。誰の目も無いここで今更姫様という呼び方も無いだろう。私は呼び方をしばらく考えた。 「あの、少しお時間よろしいでしょうか。お話ししたいことがあるのです」 「ええ、かまいませんが……」 私の答えに偽りの姫は小さく微笑むと、周囲を見回した。姫様の声や、偽りの従者の声がうっすらと聞こえてくる。偽りの姫は、私に小さく囁いた。 「……ご迷惑とは思いますが、外でもよろしいでしょうか……?」 「もちろん。……上着を取って参りますので、少しお待ちください」 一旦部屋に戻り、姫様からお預かりしている荷物からショールを一枚取り出した。自分の薄手の外套も併せて手に取ると、急いで、しかし静かに廊下に戻った。 私に、偽りの姫の心の傷を癒すことは、できるだろうか。 月明かりが、街の中心にある噴水に反射して、キラキラと光を放つ。私たちは噴水の近くにあるベンチに腰を下ろした。 「冷えるでしょう。お風邪を召すといけません」 夜はもう肌寒い。私はショールを偽りの姫の肩にかけた。偽りの姫は寂しそうな笑顔を私に向けると、すぐに目を伏せて、何かを決意するような表情を見せた。 「……私は……メイ、と申します。スタンシアラの貴族の娘です」 スタンシアラ、という国の名は、本で読んだことがある。海に浮かぶ小さな群島から成る、少し変わった国だ。街のあちこちに水路が巡らされ、その美しい街並みは四季折々に、また刻一刻と、目まぐるしく姿を変えていく。朝日に照らし出される美しい水路、夕日に浮かぶ切なげな水路。全てが絵画のようで、多くの吟遊詩人や画家が夢見る、美しい国、と。 「そうでしたか。メイさんの気品は偽りでは無いと感じていました。しかし、貴族である貴女が、何故このような人を騙すようなことを……?」 「……私……」 メイさんはショールをぎゅっと握り締める。口を固く結び、話すことへの躊躇いが見て取れた。 私はじっと、メイさんの心が納得するまで、その姿を見つめて、待った。 「……両親を……目の前で……殺されました」 私は……あまりのことに、言葉が出なかった。 話を聞くことで、少しでも傷を癒すことができれば、などと……それはなんと軽率な考えだったのだろう。あまりに独りよがりな、あまりに自分勝手な考え。傲慢な自分の心を、恥じた。 |
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