◆偽りの姫-1-◆ もうすぐサントハイムとエンドールの国境を越える。フレノールはもう目の前だ。 魔物を退治したことで姫様は上機嫌で、コロコロと明るく笑いながら山道を駆け下りる。 険しい山道が終わり、目の前の視界がひらける。海と、フレノールの街が見えた。城やサランを思い出させる潮風が私たちを優しく包み、少し郷愁の念を誘う。遂に、私たちは他国へ来てしまった。 「やった! 遂にサントハイムから出たんだ! 嬉しいー!」 姫様は全速力でフレノールの街へ向かって走り出す。私たちがついているものの、自らの足のみで他国の地を踏んだのは初めてのことなのだろう。 「姫様、お待ちください」 私とブライ様も、姫様の後を追って走り出す。もう、テンペでの失態は忘れてしまおう。テンペを救った事実がある、それだけで良い、と。 フレノールの街は、多くの人で賑わっていた。テンペへ足を踏み入れたときとは全く違う印象。この街に危機が迫っていないことを感じ、ほっと安堵する。 「ねえ、あそこ、何かあるのかな?」 姫様が指差す方向には、人だかり。その人々の視線は、宿に向けられていた。 「宿屋ですね。何かあるのでしょうか」 どちらにしても、私たちは宿へ行かなければならない。人だかりをかき分けて、私たちは宿へ向かう。 「お泊めすることはできません」 宿の主人が、私たちの薄汚れた格好を一瞥して、吐き捨てるように言った。 「どうして? お金ならちゃんと払うわよ!」 「……今日は、大切なお客様がいらっしゃるのです。そのような格好の方をお泊めするわけには……」 確かに今の私たちは、綺麗とはいえない格好をしている。しかし長旅なら私たち程度の格好をしている者は多くいるはずだ。 「大切なお客様って誰よ。あたしはサントハィ」 「とにかく、泊めてもらえなければ困る。部屋は空いておるのじゃろう?」 危うく素性を明かしそうになる姫様の言葉を遮り、ブライ様が主人に詰め寄る。サントハイムを出てしまえば、姫様のお顔を存じ上げる人物も少ないだろう。素性を明かすということは、王家という立場を利用した旅となるに過ぎない。姫様の身に危険が及ぶこともあるだろう。 「……サントハイムのアリーナ姫様がいらっしゃっているんです。ですから、あなたがたのような格好では姫様に対して失礼になりますので。お引取りください」 「……サントハイムの、姫様!?」 思わず、三人の素っ頓狂な声が重なる。 「ちょ、ちょっと待て主人。会わせてもらえぬか、その姫様とやらに!」 ブライ様が主人の胸倉を掴み、がくがくと揺さぶる。私は思わず姫様のお顔をじっと見つめた。 「……なあに? あたしの……偽者、なのかな?」 「……そのようですね……。でも、一体何のために……?」 「……ちょっと、会ってみたいなあ」 「……そうですね……どのような方なのでしょうね……」 コソコソと小さい声で話す私たちをよそに、ブライ様は大声を張り上げる。その声に負けないくらいの大きな音が、階段から聞こえた。 「うるせえよ! 何やってんだ! 姫様がいるんだぞ!」 黒い服を身に纏った、ガラの悪そうな若者が大声を張り上げた。その若者に、ブライ様が駆け寄る。 「お主、姫様の従者か」 「じゅ……? え、えっと、お付きの者だ」 「姫様に会わせてくれんか」 先ほど宿の主人にしていたように、胸倉を掴んでがくがくと揺さぶる。 「う、うるせえよジジイ。放せ、コラァ!」 若者は乱暴にブライ様を振りほどく。その勢いでブライ様は床に倒れこんだ。 「ブライ! 大丈夫!?」 姫様が腰をさするブライ様に駆け寄る。……それを見て、偽りの姫にお目通りするための手段をふと思いついた。 「姫様の従者である割には、随分と粗暴な振る舞いと言葉遣いですね」 私はじっと若者の顔を見つめた。高貴な身分の方の従者とは思えない立ち居振る舞いに対し、険しい目線を向ける。 「……なんだよ。つっかかってきたのはそっちだろ。何が悪い」 「あなたの振る舞いのせいで、私たちの旅仲間が怪我をしたのです。……名前を教えなさい」 若者が乱暴な視線を向けても、私は一歩も引かず、怯むことなく毅然とした態度を取る。 「……うるせえな……。チャパラ、だよ」 「では、チャパラさん。あなたの主君に会わせなさい」 しばらく私を睨んでいた若者は、小さく舌打ちをすると、宿の二階へ駆け上がっていった。 「……クリフト、かっこいいー」 姫様が呆然とした顔で、私のことを見つめる。……いや、この程度で感心されるとは、では私の普段は一体、姫様の目にどのように映っているのだろうか……。 「クリフトはこういうときには頼りになりますぞ。闘いの場では、まあ……あれでも、な」 ……いや、もうそのことは忘れようとしているのですから……。 近くにある椅子にブライ様は腰を下ろし、姫様が強く打ち付けられた腰をさする。 しかし、姫様の名を騙るとは。どのような理由であれ、許すことはできない。従者があの調子では、本人の品性も容易に想像がつく。このような者に騙されるなんて。私はひとつ、大きなため息をついた。 しばらく待つと、バタバタと大きな足音がして、先ほどの若者が姿を現した。 続いて、初老の男がゆっくりと姿を見せる。 どちらも品性というものからほど遠い、粗暴な風貌だ。 「……なんだ、薄汚ねえ旅人じゃねえか。てめえ、こんな奴に怯んでどうすんだよ」 「……うるせえな、ムカロ」 初老の男は、ムカロというのか。偽りの従者が、お互いを罵りあう。何と情けない姿なのだろう。 「主君はどうしましたか」 一向に姿を現さない偽りの姫に、私は苛立ちを隠せない。 「女はいろいろ面倒なんだよ。しばらく待てよ」 ……これが主君に対する態度だろうか? 全く、解せない。 しばらくすると、コツ、コツ、と、ヒールの靴でゆっくりと階段を下りる音が聞こえてきた。 ……偽りの姫だろう。私は姿勢を正し、息を呑む。姫様とブライ様も、足音のする方向をじっと見つめていた。 「……私の従者が、大変失礼なことを…………っ!?」 姿を現した偽りの姫に、私は頭を強く叩かれたような衝撃を受けた。 ──偽りの姫も、本物の姫様を見て、強い衝撃を受けたようだが。 その姿。 アップに纏められた艶のある美しい亜麻色の髪。 透き通るような緋色の瞳。 雪のような白い肌。 耳に心地よく響く声。 ひと目で高級と判るシルクのロングドレス。 宝石の散りばめられた装飾品の数々。 そして何より、従者からは想像もできない、溢れる気品。 似ている。 あまりに、姫様に、似ている──。 私と偽りの姫は、お互いに見つめあったまま、言葉を発することができなかった。 |
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