◆魔物の住む村-5-◆

「では、わしは一足先に、隠れておりますぞ」
ブライ様は、生贄の祭壇の近くの茂みに身を潜めた。
魔物が姫様に気をとられているうちに、背後から魔法を放つため。

空が赤く染まり始めた。
そろそろ、生贄の儀式の準備が始まる。
「アリーナ様、これをお持ちください」
「私からもこれを」
「私からも……」
村人の多くが、姫様に薬草などを手渡す。姫様は一人一人にしっかりと礼を述べ、その手を握る。その表情は力強く、村人を安心させた。
「アリーナ様、そろそろ、行きますか」
ネビンズさんが籠の蓋を開いた。まずは私が籠の中に入る。そして、姫様が……。

籠の蓋が閉められる。
既に陽が落ちかけている今は、籠の中は昨日よりずっと暗い。
昨日の非礼を思い出して、私は目を開けていられない。

「……クリフト……」
姫様が、そっと囁く。
「……ごめんね。昨日はあんなこと言って」
「え……?」
姫様は何か、私に謝罪されるようなことを申されただろうか? 思い出してみても、心当たりは無い。
「本当はね、あたしも、怖いの。ここであたしが負けたら、この村は、サントハイムはどうなっちゃうのかなあって」
「あ……」
そうか。姫様は私に怖いのかと問うことで、自らの恐怖を誤魔化していたのか……。



「姫様……」
思わず私は、昨日と同じように、姫様の身体を捕える。
「あたし、負けないよ……」
姫様はそんな私の腕を、しっかりと掴んだ。
その身体は、少し、震えているように感じた。



「アリーナ様ー! そろそろ、行きますよー!」
外から、ネビンズさんの声が聞こえた。私は思わず姫様から腕を解く。
「判った! みんな、行ってくるね!」
姫様が大きな声で、村人の声援に応える。
数人の男たちによって持ち上げられた籠が軽く揺れ、祭壇へ向かって進む。



「そうだ、姫様……まだ、覚えたてではあるのですが……」
私はそっと、覚えたての呪文を唱える。少し明るい青白い光が発せられ、姫様の身体を包み込む。
「……なあに、これ?」
「スカラ、と呼ばれる呪文です。身体に薄い空気の渦を作り、攻撃を受け流すことができます。攻撃魔法には、効果はありませんが……」
どうやら、うまく呪文の効果が発動したようだ。魔法が得意な魔物でなければ良いが……。
これで少しでも姫様が傷つくことが防げれば……。



私の周りを包む生臭い空気が、だんだんと密度を増してくる。魔物が近くにいるのだろう。
籠の揺れが治まった。どうやら、祭壇に到着したようだ。
私は籠の隙間から、敵を窺う。
年老いたような小さな人型の魔物と、犬のような化け物が二匹。思ったより数が多い。

「やあ、神官さん。大人しく生贄を持って来ましたね?」
「……ああ」
「もう、抵抗しようなんて、考えてないですよね?」
「……ああ」
「そうでしょう。今度はそんな足だけでは済まないですよ?」
「……うるさいな。生贄は渡したんだ。おれはもう、戻るぜ」
「この前の生贄は活きがよくなかったですね」
「今回は最高に活きがいいって。だからもういいだろ、これで」

そうですね、確かに活きは……。

などと不謹慎なことを考えている場合では無かった。

ネビンズさんが安全なところまで離れたら、合図をくれるはずだ。私たちは合図を待つ。



「これでもう、村から、出て行ってくれよー!」
ネビンズさんが大声で、合図の言葉を叫んだ。
姫様が籠の蓋に手をかける。負けられない闘いの始まりだ。



「イヤでも出て行ってもらうわよー!」
姫様が大きな声と共に、勢いよく籠から飛び出した。
同時に、ガツンという大きな音が聞こえた。姫様のパンチが見事当たったのだろう。
魔物のものと思われる、小さな悲鳴が聞こえた。
「姫様……神よ、姫様をお守りください……」
私は籠の隙間から姫様の闘いを見守る。魔物の背後では、ブライ様が魔法の詠唱を始めていた。
「な、なんだお前は生贄の分際で」
「うるさいわね! 生贄が抵抗しちゃいけないなんて誰が決めたのよ!」
魔物の言葉を途中で遮ったのは、言葉だけではなく、姫様の強烈なキックだ。
……城の壁を破壊するほどの……。

姫様に、犬の化け物が飛び掛った。
ブライ様の魔法が、魔物の引き連れている犬の化け物に襲い掛かる。
一匹には命中したものの、もう一匹には外れた。その犬が姫様に牙を剥く。
「……えっ……!」
「しまった……!」
ブライ様が再詠唱の構えをとる。間に合うだろうか……!
「きゃあああ!」
姫様の甲高い悲鳴が聞こえた。牙はうまく避けたものの、鋭い爪が姫様の腕を切り裂き、鮮血が走る。
同時に、魔物が持っている杖で姫様の腹部を強烈に突く。
姫様は小さな悲鳴を上げて、蹲る。

「姫様ー!」
私は籠から飛び出し、剣を抜いた。同時に、治癒呪文を唱える。
ブライ様の氷の魔法が再び発動する。
魔物も犬も、一瞬、どちらを相手にするかで迷いを見せた。そんな迷いが生んだ隙に、ブライ様の魔法が姫様を傷つけた犬を捉え、私の治癒呪文の詠唱を完了させた。
「……もう一人、いたのか。目障りな神官め……!」
ブライ様の魔法に吹き飛んだ犬が宙を舞っている間に、魔物は私に走り寄る。思ったより素早い動きに、私の行動が一瞬遅れた。
「お前からだ!」
魔物の杖が、私の横っ面を叩いた。杖に付いた装飾が私の頬に刺さる。
吐き気を催すような、強い衝撃。私は地面に叩き付けられた。
「……っぐっ……」
剣が手から落ちる。その剣を魔物は素早く拾い上げ、地面に伏す私に向け刃を向ける。
「クリフトぉー!」
ブライ様の声が遠くで聞こえる。

遠くで……。
……遠く、で……?

「……?」
何だろうか、意識がぼんやりとする。瞼が重い。いや、瞼だけではない。身体全体がずっしりと重い。
避けられない。起き上がれない。このままでは、自らの剣で……。



私の意識は、そこで、途絶えた。




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