◆魔物の住む村-6-◆

「……クリフト。クリフト!」

私の身体が、がくがくと揺さぶられる。
美しい声に、私はそっと目を開いた。まだ少し、頭ががんがんと痛む。
「……う……」
「大丈夫?」
ぼやけた視界の中に、姫様の姿が見えた。

「……ひ、姫様! 魔物は」
「やっつけた。だからもう、大丈夫!」

……記憶が、無い。
私は魔物に叩かれ、地面に伏して、それから、それから……。
覚えて、無い。

「この杖。睡眠魔法の効果が秘められていたようじゃな」
ブライ様が手にしているのは、魔物が使っていた杖。私を殴りつけた杖。
そっと、叩かれた頬に触れてみると、ぬるっとした感触があった。少し、出血しているようだ。
頬に刺さった装飾から、睡眠魔法が身体に直接染み込んだのだろうか。
……そうだと、しても。杖の魔力だとしても。情けない。負けられない闘いの最中なのに。

「クリフトが、あたしにかけてくれた呪文のおかげで、痛くなかったよ」
覚えたての呪文がうまく効果を発揮したこともあり、私は胸を撫で下ろした。
私が意識を失う前にかけた治癒呪文は、姫様の腕の傷を癒していた。ところどころ小さな傷を負っているものの、大きな怪我の様子は無い。その美しいお顔にも。

だけど。
だけど。情けない……。
私は、何も、できなかった。



私が意識を失ったあと、姫様は魔物に反撃の隙も与えない強烈なパンチとキックを浴びせたという。
そのあまりの強さに、魔物は降伏し、杖を置いて土下座して謝ったという。
姫様は、魔物にとどめを刺さなかった。いや、刺せなかった、のかもしれない。例え魔物であっても、人の形をして、人の言葉を話すものには、とどめを刺すことが躊躇われたのだろう。

その魔物にまで及ぶ姫様の優しさが、後に仇となって返って来なければ良いのだが……。



魔物を倒したことで、村では私たちを労う祝宴が開催された。
それでも、私の心は、晴れない。
真っ先に闘いから離脱してしまったこと。足手まといになってしまったこと。姫様をお守りできなかったこと……。
そして何より、二度と戻ることのない、新月の晩に奪われた娘さんの命と、城へ危機を伝えに行った若者の命、不自由を強いられるネビンズさんの左足。手放しで喜んでいられない。もっと早く、私たちがこの村の危機に気づいていれば……。
テンペを救うことで、私を包む生臭い空気が晴れるかと思っていたのに、その空気は私の周りを未だに包む。その空気と祝宴から逃れるため、私は一人で教会に向かった。

ぼんやりと椅子に腰掛けて、祭壇を眺める。
祈るだけでは、前に進めない。神という不確かな存在に自らの身を委ね、自らの努力と精進を忘れた者。そのような者には、神は救いの手を伸ばしてくださらないのだろう。
……ネビンズさんは、自ら進もうとしたのに。学校時代は不真面目だったとしても、今は神のために、村のために、尽くしているというのに。

神官とは、何なのだろうか?
何のために、いるのだろうか?
大切なものを守るために必要なことは、何なのだろうか?
この闘いで、私は一体何をした?

「あーいたいた。やっぱりここか」
明るい声に、私は振り返った。ニコニコと明るい笑顔で笑うネビンズさんが、そこにいた。
「なんだよ暗い顔して。お前はこの村の英雄だぜ?」
ネビンズさんは足を引き摺りながら、私に近づいてくる。その姿が、痛々しい。
「……私は、何もしていませんよ……。姫様とブライ様が、この村を救ったのですから」
魔物に叩かれた頬が少し腫れて、ズキズキと痛む。ネビンズさんはそこに優しく手をかざし、治癒呪文を唱える。優しい光が私を包んで、傷の痛みを忘れさせる。

「なあ、クリフト」
「……なんでしょうか」
「こういうときは、笑うもんだぜ?」
「……無理ですよ」

もし、私がこの闘いで、姫様をお守りし、闘うことができたのであれば、私の心は笑顔を思い出したかもしれない。しかし、今の私は、笑顔を見せることなどできない。
「相変わらず、真面目で卑屈なんだな、クリフトは」
ネビンズさんの朗らかさが、がさつさが、羨ましい。どうしてそんなに笑顔でいられるのだろう。
「……そうだな。お前は……好きな女ができたら、変わるかもな」
私が……誰かを、好きに? それは……。
「……有り得ませんよ。私は……」
嫌な思い出が蘇って、心の傷を抉っていく。
「……人を、愛することは、できません」
喉の奥が熱くなって、込み上げてくるものを、私はぐっと飲み込んだ。

「おれたち神官は、人に愛を説く立場にあるんだろ? それなのにお前が人を好きになれなくてどうするんだよ」
ネビンズさんの言うことは尤もだ。人を愛せない私が人々の愛の悩みに耳を傾け、結婚式で永遠の愛を問う。なんて滑稽な姿なのだろう、と自嘲することも多々あった。
「私が姫様の御傍にいられるのも、私が、人を愛することができないからなのです。姫様に邪な気持ちを抱くようなことがありませんから……」
自分で言って、ふと、籠の中の出来事が頭をよぎる。姫様をこの身に寄せて、もっともっと近づきたいという気持ち。あれは、何だったのだろうか、と。
「あのさー。邪ってなんだよ。おれアリーナ様大好きだよ? おれが神官じゃなくって、釣り合う身分だったら即効アリーナ様にプロポーズしちゃうよ? それって、邪か? なあ、人を好きになるのは邪なことなのか? じゃあおれたち神官は人に邪な心を勧めてるのか?」
「やめてください。そんな話は」
私の心がぐちゃぐちゃにかき回される。何だか判らない。思わず頭を抱えた。
「……ごめん。言い過ぎた」

そのまま、お互いに何も言えず、じっと黙ったまま、時が流れていく。
祝宴の楽しげな声と裏腹な、気まずい空気が流れていく……。



翌朝、私たちはテンペを発つことにした。フレノールまではまだ山道が続く。旅の支度を整えて、まだ早いうちに出発すれば、陽が落ちるまでにフレノールに到着するだろう。
村人は名残惜しそうに、姫様やブライ様と握手を交わす。私も村人を握手を交わしたものの、浮かない表情を浮かべているためか、少しずつ私の周りから人が引いていく。
楽しそうな声に私は壁を作り、心への侵入を拒んだ。
「クリフト。昨日は、ごめんな。お前の気持ちも考えないで、ぐだぐだ奇麗事ばっかりさ」
「構いませんよ。私も、少し卑屈になっていました。申し訳ありません……」
ネビンズさんは私に右手を差し出した。私はその手をしっかりと握り返す。
「おれの予感だけどな」
そっと、私の耳元で、ネビンズさんが囁く。
「アリーナ様が、お前のことも救ってくれる。なんとなく、そう思うぜ」
「……え」
その言葉に、何故か私の頬が赤く染まる。そんな私を見て、ネビンズさんは大声で笑い声をあげた。



「クリフトのお友達、かっこよかったわねー」
「姫様。あやつは神官の中でも最も位の低い者ですぞ。あの神官服はまだ未熟者の証です」
確かに、ネビンズさんは位の低い神官だ。しかし、私などよりずっとずっと、村人の役に立っているはずだ。ネビンズさんを虐げた村人も、きっと、ネビンズさんのことを判ってくれるだろう。
私は情けなさで、姫様とブライ様のお顔を見ることすらできない。ただじっと黙って、険しい山道を歩く。
姫様が明るく笑いながら、山道を下っていく。ブライ様が必死にその後を追う。
私も少し早足で、姫様の後を追った。



ふと、ネビンズさんの言葉が蘇る。
私が、異性を好きになれば、私は、変わると。
……でも、それは違う。私は変わらなければ、人を好きになることができない。
最も強いと言われる愛の絆に裏切られた私が、儚く脆い異性との愛に走ることは無い。



……そのときは、そう思っていた。




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