◆秘術-1-◆

メイさんと暮らし始めて、もうどれくらい経っただろう。
ここにいると、季節の変化もあまりよく判らない。
ただただ穏やかで、幸せな時が流れる。

街の人も、だいぶ増えた。
私がここに来たときから、倍以上にはなっただろうか。
小さな争いごとや、ちょっとした事故も少しずつ増えるものの、大きな事件や事故は無かった。
店も増え、砂漠を越える旅人たちの安息の地としての役割が確立されていった。



私も、そうだ。
この街での私の役割。薬師とまではいかないまでも、私がここに存在する理由、それが確固たるものと
なった。
ひとりひとりの体調に合わせた薬湯を調合して届けると、笑顔で感謝される。
突然の体調不良に、私を頼りにしてくれる。
この前はありがとう、と、顔を合わせたときに手を振ってくれる。

皆から頼りにされて、私という存在が確かにここに必要なことを教えてくれる。



一度、ボロボロになってしまった私の心が、そんな笑顔で癒されていく。
頼りにされている、という自信が、私の誇りを取り戻してくれる。

──望んでいた、私の幸せな生活。やっと、手にいれた、穏やかな日々──。



「ただいま戻りました」
「お帰りなさい、クリフトさん」



家に帰る。ただ、それだけのことが嬉しい。
寒々しい暗く湿った狭い部屋とは違い、温もりのある明るい家。
そこにいるのは、私を愛してくれる人。

そうだ。あとは、私だけ──私だけが、過去を乗り越えることができれば──。



「はあ……」
街から少し離れた草地で、薬草を摘み終えた私は、仰向けに寝転がった。
雲が少し早く西に流れていく。
高く広い空。あんな小さな窓に切り取られていた空は、本当はこんなにも広い。
手足を投げ出して、だらしなくその身体を地面に預ける。
寝返りを打つだけで壁にぶつかる狭い部屋とは違い、動きを遮るものは何も無い。
草の香りと、土の匂い。そよそよと髪を揺らす風。
どれも、ほっとする安心感を与えてくれる。

誰かと一緒にいるときは幸せで、嬉しくて、過去なんて忘れてしまう。
それなのに……。

「……姫、様……」

ひとりでいると、志半ばで逃げ出してきたサントハイムのことが、姫様のことが浮かぶ。
無事、魔物の手から取り戻すことはできたのだろうか。
姫様に、お怪我など無かっただろうか。
──どんなにつらく苦しい道でも、逃げてしまったことは……。



……止めよう。
私はぎゅっと目を閉じる。
……忘れよう。
今までの苦しい出来事は、全て、夢だ。
目を開けば、幸せな生活が私を待っているんだ。



そっと、目を開く。
流れる雲も、優しく吹く風も、何も、変わってなどいない。
そうだ。これが現実。家に帰れば、私を愛してくれる人が待っている。
私を頼りにしてくれる街の人々がいる。
それが、全て。それを、大切にしよう。悪夢など忘れてしまえ。

──ゆっくり、私は、身体を起こした。



「──……!」
その途端、恐ろしくも懐かしい空気が、私を包む。
そう、あの、生臭い空気──。
ゾクゾクと悪寒が走る。身体が震える。
恐怖と──言い様の無い、不安を感じて……。



そうだ……私には、まだ……死ぬよりつらい地獄を味わう呪いが残っていた……。



私は走り出す。
この空気は、私の幸せが奪われる前兆なのかもしれない。
メイさんの身に、何か、起こるのかもしれない。
あの街に、何か、起こるのかもしれない。
街に近づけば近づくほど、生臭い空気は密度を増す。



「どうした、クリフト?」
きょろきょろと街中を見回す私に、街の人が声をかけてくる。
「あ……いえ、あの……何か、変わったことはありませんでしたか?」
「変わったこと……? まあ、いつもの通り何人か旅人が来てたけど……そうだな」
その人は、うーん、と考えるような仕草で、顎鬚を触る。
私よりずっと大きなその身体を、少し見上げた。
「酷く綺麗な男がいたな。女どもはきゃあきゃあ言ってるぞ」
「綺麗な……男……?」

その言葉を聞いて思い出すのは、凛とした伝説の勇者さまの風貌。
外見の美しさとは裏腹に、品位の欠片も無い粗暴な振る舞い。



……まさか。

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