◆きっと、ここから。-2-◆

「あ、あの、ええと……」
「一緒で、一緒でいいです!」

おろおろする私を尻目に、メイさんが大きな声でホフマンさんの問いかけに答える。
……耳まで、真っ赤だ。
きっと、私も……。

「判りました。では、これからもよろしくお願いしますね」
ホフマンさんは楽しそうに、街の人々の情報が書き込まれた書類を棚に仕舞った。
私とそれほど歳も変わらないのに、とてもしっかりした方だ。
たくさんの人々を束ねることは、大変だろう。



「あの……」
街の隅にあるホフマンさんの家を出たところで、メイさんが私に語りかける。
「ご、ごめんなさい。勝手に決めちゃって。私、あの」
「い、いえ、こちらこそ。ご、ご迷惑おかけするかと思います……」
何年ぶりだろう、誰かと一緒に暮らすなんて……それも、結婚もしていない女性と。
私は、一生、ひとりで暮らしていくのだろうと思っていたのに。
「よろしく、お願いします……」
メイさんに深々と頭を下げる。
私に、当たり前の幸せを教えてくれた人。私に、無償の愛を与えてくれる人。
「よろしくお願いします。私も、ひとりは心細かったので、ごめんなさい、勝手に……」
「あ、いえ、本当に……」
幾度となくお互いに照れながら、同じ言葉を繰り返す。
何度目かにあまりに可笑しくなって、二人で笑った。



メイさんの案内で、街をひとまわり。
出会った人々に挨拶をして、これからの生活に胸を躍らせる。
きっと、これからは明るい未来が、楽しい生活が待っているんだ。

……ふと過る不安は、私にかかる腕輪の呪い。
幸せを味わったあとに訪れる、どん底の不幸。
大きな幸せであればあるほど、不幸も大きいものであるような気がするけれど──。

でも。でも。
あれ以上の不幸を味わうことなんてできるのだろうか。
……想像もつかない。
全て捨ててしまった過去と一緒に、願わくばあの呪いも共に。



二人でお店の掃除をして、開店の準備を整える。
色とりどりの服は、どれも素敵だ。
「そうだ、メイさん。私は少し外に出て薬草を探してきますね」
「はい。お昼には戻ってきてくださいね。一緒にお昼にしましょう」
私の言葉に答えてくれる人がいる、それだけで胸がいっぱいになる。
暖かくて、安らかで、ほっとする空間。これが、望んでいた当たり前の幸せ。
心の傷が、だんだんと癒されていくような気がする。
自然と優しい気持ちになれて、笑顔がこぼれる。
人に優しくされて、人に優しくすることができるようになる気がする。

愛とは、見返りを求めないものです。
愛とは、尊いものです。
愛とは、無償に与えるものであり、与えられることを望むものではありません。

今は、その教えが、判るような気がする。
……あんなに激しく、醜く想うことが、愛だと思っていたなんて……。



ホフマンさんの家の近くの泉は、多くの薬草が自生していた。
これは傷に、これは食あたりに、これは疲れに……いくつかの薬草を千切って籠に入れる。
種ができているものがある。メイさんに許可を貰って、庭に植えよう。
美味しいお茶になるものもある。店に一緒に置いてもらおうか。メイさんの手作りのお菓子でも添えて……。
美しい花も咲いていた。あの旅の途中で、花を美しいと愛でる余裕などあっただろうか。
……そういえば、あのネックレスは、誰かに見つかってしまっただろうか……。

ああ。ダメだ。もう過去は忘れよう。
私はメイさんを愛していこう。
まだ、まだ無理かもしれないけれど……。



街の中心から、鐘の音が聞こえた。
陽も高く、おそらくお昼どきなのだろう。
少し、お腹も減ってきた。そろそろ、一旦戻ろう。
服についてしまった花粉を払って、私は立ち上がった。



店の裏手にある扉を開けて、メイさんの家に入る。
朝と同じ、いい香りがしていた。

「あ、おかえりなさい、クリフトさん」

「……」

メイさんの言葉に、私は思わず立ち尽くす。
「……どうしたの?」

あ……。
そうか……。



「た、ただいま、戻りました……」
「うふふっ。どうしたの。おかえりなさい」



家に戻って……いや、帰って……私を出迎えてくれる人なんていなかった。
鍵を開けて扉を開けて待っているのは、暗く湿った狭い部屋。
ただいま、なんて、家に帰って言うことなんて無かった。

「いえ、すみません。慣れてなくて……」

薬草の入った籠を、メイさんが受け取る。
わぁ、凄い、と、感嘆の声が上がる。
……認めて貰える、嬉しさを感じる……。



そうだ。私の人生は、きっとここから始まったばかり。
あのつらく悲しい思い出も、もう過ぎたことなんだ。
神様に幸せを願い続けても叶わず、教えを捨てたとたんに幸せが訪れるなんて。

信じよう。信じてみよう。私を愛してくれる人を。
嘘なんかじゃない。偽りなんかじゃない。同情なんかじゃない。
私を心から愛してくれる人。
その愛に、きっと、応えてみようと思った。

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