◆きっと、ここから。-1-◆

「お……おかしく、ないですか」
「全然。よく似合ってるわ。よかった」

メイさんが用意してくれた服に袖を通す。
今まで、部屋着以外の私服なんて、ほとんど身につけたことが無かった。ちょっと照れくさい。
神官服と違い締め付けるものは何も無く、動きやすく、肌触りが良い。

「それにしても、凄いですね。私もちょっとした繕い物くらいはできますけど、服を仕立てるなんてとても無理
ですよ……」
メイさんは、この街で一軒だけの服飾店を営んでいた。
並んでいる品々は、全てメイさんの手作りだという。
この服も、店に並んでいた一着だった。

「ええ。お母様に教わったの。どこへお嫁に行っても恥ずかしくないようにって、お料理も、お裁縫も……」
そう言って、メイさんはふと寂しそうな笑顔を見せる。
……身近な人間に、大切な両親を目の前で殺された、その心の傷はどれほどのものなのか。
私の心の傷なんて、比べ物にならないほどの……。
「……素晴らしい、お母様ですね」
その言葉にちょっと頷いて、メイさんは服の裾を慣れた手つきで直していた。
きっと、メイさんなら、自ら料理や裁縫をしなければならないようなところへ嫁ぐことは無かっただろう。あくまで手習いで済むはずだったのに、今こうして生計を立てるために必要になるなんて。
何だか、無念のままに天に召された母親の気持ちを思うと、胸が苦しい。



「ねえ、クリフトさん。もし……よかったら」
裁縫道具を片付けて、メイさんが私の手を取る。すらりと伸びた美しく細い指。
……どうしてもその姿に、姫様の姿が被る。
どうして、私を愛してくれる人を、素直に受け入れることができないんだ。
愛しても愛しても受け入れられない苦しみ、それは嫌というほど判っているのに……。

「この街に、住みませんか。ここは、過去を捨てて新しい生活を送れる街です」
「え……」

メイさんの言葉は、力強かった。

「もちろん……無理にとは言いません。私を見ると、いろいろと思い出すでしょう……?」
「……」

ほんの僅かの出会いだったのに、メイさんは私の想いを見抜いていた。
その鋭さは、今の私の気持ちも見抜いているのだろう。
愛する人が、自分のことを他の女性の代わりとして見ている。それはどれほどの屈辱だろうか。
想像しただけでも苦しく、悔しい気持ち。
私がメイさんの姿に姫様を思い出すことなんて、その苦しみに比べたら、ちっぽけなことじゃないか……。

「今は……まだ……正直申し上げれば、確かにメイさんを見るたびに、姫様を思い出します……」
一瞬、気丈に振舞うメイさんの表情が、ぴくりと動いた。
「でも……それは、もう、過去のことです。ここで過去が捨てられるのであれば、いつか……」
いつか、その姿は本物となって、姫様がメイさんの偽者となるのかもしれない。
いつか、私はメイさんの愛に応えられる日が来るのかもしれない。
それは、現実のものとなるのかは判らないけれど……。



でも……私は、今のこの小さな幸せを、私を愛してくれる人を、放したくなかった。



「……それまで、メイさんにはつらい思いをさせてしまうかもしれません。それでも……よろしければ」

今度は、私が、メイさんの手をしっかりと握り返した。
まだ傷が残る汚らしい私の手の中に、美しい手が納まる。

「はい」

少し潤んだ瞳が、しっかりと私を見つめていた。



「ええと、クリフトさんでしたね」
「はい。よろしくお願いします」
昨日、私のことを助けてくれた青年……ホフマンさんは、この街を治める方だという。
街の人々を登録するための書類に、私の情報が書き込まれていく。

「何か、得意なこととか、ありますか?」
得意なこと。神の教えを捨て、神聖呪文を捨てた私に、何か残っているだろうか。
剣術? いや、ソロさんに簡単に負けるような剣術は得意とは言えないだろう。
神官学校で教わって、でも、神の力を借りないで人の力でできること……そうだ。
「そうですね……薬、と言いますか……薬草の知識があります」
「それは、助かります。この街にはまだ薬の知識がある人はいないんですよ。まだ大きな病は流行ったことは無いですけど、厳しい気候ですし、人が増えれば、病も増えるかもしれません」

砂漠の真ん中に築かれた街。
ここは幸いに水にも気候にも恵まれているものの、今がまだ冬だということを考えれば、真夏の暑さは想像
以上かもしれない。それに、夜はぐっと冷え込んでいるようだった。体調を崩す人々は多いだろう。

「昨日も言いましたけど、この街では過去の詮索はしないでくださいね。でも、話したければ話すことは自由
です。話すことで楽になる人もいますから」
「判りました」

いくつかの質問があり、その内容が書類に書き込まれていく。これが、私の新しい生活の始まりとなるもの
なんだ。すらすらと動く羽根ペンを、希望を込めてじっと見つめる。

「最後になりますけど」
その羽根ペンがぴたりと止まって、まだあどけなさが残るホフマンさんが私の顔を見る。
にこにことした、可愛らしい笑顔だ。



「住むところは、どうしますか? メイさんと一緒でいいですか?」



「えっ……」
何の疑いも無く、当然のように笑顔のまま問いかけるホフマンさんに、思わず言葉が詰まる。
同時に、かっと顔が熱くなるのを感じた。
目線をメイさんに向けると、メイさんも同じように真っ赤な顔だった──。

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