◆魔物の住む村-4-◆

「ちょっとクリフトいつまで寝てるの! 明日の晩に備えて特訓よ!」
徹夜で教会の片付けをしていた私とネビンズさんは、朝のお祈りの後に、少し仮眠を取っていた。
私はまだ眠い身体を起こして、毛布をネビンズさんにかけ直す。
姫様のあれだけの大声でも目を覚まさないとことを見ると、ネビンズさんはよほど疲れていたのだろう。
「すみません、ちょっと夜更かししていたもので……ネビンズさんがまだ眠っていますので、お静かに」
私の言葉に姫様が思わず口を押さえる。
私も足音を立てないよう、そっと教会を後にした。



姫様が生贄となってこの村を救う、という話は、村人の間に既に伝わっているようだ。
昨日に比べると、格段に村に活気が戻っている。
やはり、姫様のお力は偉大だ。どのような場面におかれても、その存在の光は人々の希望を照らし出す。

「でもね、魔物に気づかれるのはマズイの。だから、あんまりおおっぴらに喜んでないで、いつもどおりに過ごしていてもらえる?」
姫様は村人にも作戦を伝える。最初から生贄が罠だ、というところを魔物に悟られてしまっては、魔物も対策を取り、最悪、満月の晩を待たずに先制される場合があるだろう。
「これが生贄の籠ね。クリフト、ちょっと入って」
「はい」
小さな籠の中に、私は身体を入れた。入ってみれば意外と広く、窮屈には感じない。
「よいしょ」
そんなことを思っていたとき、急に私の視界に影が落ちる。
……姫様が籠に入ってきたのだった。
「ひ、姫様、何を」
「ちょっと、蓋閉めてみてー」
村人は姫様の声に、籠の蓋を閉めた。
籠の隙間からほんのりと差し込む光だけの薄暗い籠の中で、私と姫様の身体が密着する。
姫様は私の身体に寄り掛かってくる。まるで、私が後ろから姫様を抱いているような格好だ。

……どうしよう。私の心臓が早鐘を打つ。その鼓動が姫様にも伝わりそうだ。
……何だろうか、この感情は。

「クリフト」
姫様のお顔は、私の右肩に寄り掛かっているため、少し振り向かれただけで唇が私の頬に触れそうだ。
「怖いの? 震えてるわよ」
「ち、違います、怖くなどはありません、その……」
貴女がこんなに御傍にいらっしゃるから……そのようなことが言えるはずも無い。
しかし、この感情が抑えられない。何だろうか、この感情は。判らない、感じたことの無い感情。



「……姫様……!」
私は思わず、やり場を無くしていた腕で、姫様の身体を捕えた。

「……!」
姫様の身体が少し、ぴくんと震えた。

どうしよう。どうしよう。どうしたらいいんだ。私はなんという行為に及んでいるのだ……。



「……なんだ、やっぱり怖いのね。大丈夫よ、あたしは負けないから」
姫様がくすくすと笑い声を立てた。
その笑い声に、私は我に返り、姫様を強く捕えていた腕を解く。
姫様には、私のこの感情は伝わってはいないようだ……。

「あたしとクリフトがこの籠に入って、魔物が近づいてきたところに、あたしが颯爽と籠から出てパンチを一発、ね。それでブライが後ろから不意打ちで魔法。クリフトはここに隠れてて、危なくなったらすぐホイミね。こんな籠にまさか二人も入ってるとは思わないだろうし。どう、完璧でしょ」
「わ、私は隠れているだけですか」
「そうよー。だってあたしだったら、癒し手を先に片付けるわよ? そうしないといくらパンチを浴びせたって、すぐ回復されちゃうもん」
確かに、姫様のおっしゃる通りだ。本来姫様やブライ様をお守りしなければならない立場の私が、卑怯にもこの中に身を潜めておかなければならないという事実は、少し悲しくは、ある。
「この籠には二人入っても大丈夫ね。うん、作戦通りいけそう!」
姫様は腰を浮かせて、籠の蓋に手をかけた。
……もう少し、この中に居たいと、私の不思議な感情が身体を駆け巡る。
「ねえクリフト、いくら怖いからって、本番であたしにしがみつかないでよ。出られなくなるから」
姫様はニコニコと笑うと、籠の蓋を取り去り、勢いよく籠から出て行く。

私の腕に、身体に、姫様の温もりが残る。
やわらかく甘い香りが、籠の中に残る。
私の中で、忘れ去られていた、封印されていた不思議な感情が、少し顔を出したような気がする……。



その日の夜、私は武器の手入れを始めた。
儀式以外に使うことなど無いと思っていた、神官学校時代からの剣。
化け物のものとはいえ、持ち物に血が付いていては、神聖呪文の効果を半減させる。
「……クリフト。ほれ」
ブライ様が温かいミルクを持って、私の隣に腰掛けた。
「ありがとうございます」
温かいミルクに口をつけると、ほっと安らかな気持ちになる。
「クリフト。わしは、姫様やお前のことを、孫のように思っておる」
ブライ様の言葉は、その内容とは裏腹に、どこか寂しそうなものに聞こえる。
「……そう、ですか……嬉しいです」
「だから、お前の……幸せは、願ってやりたい……とは、思う……」
「……?」
「……お前は、神官、か……」
「申し訳ありません、意味が……」

そんな会話の中、部屋の扉が開いた。
お風呂から上がってこられた姫様だった。

「さあ早く二人ともお風呂入っちゃってー。今日は早く寝るのよ! 明日に備えて!」

姫様の明るい声に、空気が一瞬にして爽やかなものになる。
「クリフト、明日は寝坊したら許さないわよ? いい?」
「……大丈夫ですよ。ご安心ください」
私は剣を鞘に納め、道具を片付ける。
今日はお風呂にゆっくり浸かり、早めに寝よう。

ブライ様は、何をおっしゃりたかったのだろうか。
その真意は、判らないままになってしまった。
空には少しだけ欠けた赤い月が、大きく浮かんでいた。
その月を見ると、生臭い空気を感じる。



明日は、逃げられない闘いだ。
祈るだけでは無く。
私は、姫様を助け、この村を、自らの手で救おうと誓った。



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