◆茨-1-◆

ゆっくりと、私は部屋の扉を開ける。
澱んでいた部屋の空気に、朝の爽やかな風が流れ込んだ。

雲ひとつ無い、澄み渡る空。
まだ遠くの空はうっすらと暗い。

美しい朝の空気に、ふと生臭さが混じる。ああ、最初に感じたときと同じ、身体に纏わり付くような生臭さ……。思えば、それが全ての始まりだったのかもしれない。



人影もまばらな朝の街を歩き、教会へ向かう。私の最後の祈りだ。

祭壇前で跪き、目を閉じ、深く深く、強く強く、私は祈りを捧げる。
神官、それは祈りを届けるべき伝達者。今まで、どれだけの悩める人々の祈りを神に捧げてきただろう。それは、本当に役に立っているのだろうか。ただひたすらに神の力に縋り、書籍の中だけの知識を無駄に積み重ねてきた私より──未熟者と言われ続けていても、自らの力で村人を守るため、剣を取り闘ったネビンズさんの方が、尊敬に値する神官に思える。

……なりたくて、神官になった訳じゃない。
そう言ったら、真剣に神官を目指し挫折した人々に失礼だろうか。
でも、私には、神官になる道しか残されていなかったんだ。
──怖かったんだ。だから、必死に努力した。

教会に引き取られ、面倒を見て貰いながら、神官学校に通っていた身。
もし、神官になれなかったとしたら……私は、どうなる?

『クリフトは、大きくなったら、何になりたいの?』

……そう問いかける、母の声。その声に、私は、何と答えていたのだろうか?
……思い出せない。
……確かに、夢があったはずなのに……。

「神様……」

母への願い、姫様への想い、私自身のささやかな幸せの祈り。
何一つ、叶えてくださらなかった。私の祈りの力など、その程度でしょうか。
こんなにも必死に、あなたに縋っているのに……。

ネビンズさんが言っていた。神は自ら行く者を助く、と。
だから、私は、行きます。
全てを、捨てる覚悟で。



そっと、目を開く。
揺らぐことの無い、覚悟を胸に。



宿の入り口には、既に大勢の人が押し寄せていた。
その人々から、わっ、という歓声が上がり、姫様の御姿が見えた。
何と、神々しく、頼もしい御姿だろうか。
人々の手を取り、しっかりと微笑み、ゆっくりと進む。
そのすぐ近くには……ソロさんの御姿。

……悔しい。本当ならば、そこに私がいるはずなのに。
姫様をお守りし、この国を故郷として暮らしてきた私が──。

──止めよう。そんな想い。勝手な独りよがりじゃないか。
私の心を縛り付ける茨の痛みに耐えながら、さりげなく私も頼もしい一団に加わる。
「……クリフト」
ブライ様が、そっと私の名を呼ぶ。
「……もう、大丈夫か」
「……はい」

そうだ。もう大丈夫。決めたんだ。この闘いが最後の闘い。それが勝利でも敗北でも。全てを捨てて、ただサントハイムのためだけに闘うと。それが私を育ててくれた王様たちへの恩返しでもあり、姫様への想いを断ち切るためでもあり、私自身へ決着をつけるためでもあり……。

自分自身を納得させるためだけのくだらない言い訳を考えながら、私は人々に見送られてサランの街を後に
した。



「行こう。サントハイムを、取り戻そう」
ソロさんが、靄に覆われた城を見上げて呟く。その声に、皆が力強く頷く。姫様の御身体が、少し、震えて
いた。

「アリーナ。覚悟はいいな」
「……うん」
「マーニャ、ミネア。今度こそ、仇を討つぞ」
「あったりまえよ!」
「はい。よろしくお願いします」

ソロさんの周りに、三人の女性が集まった。それは、キングレオのときと同じ仲間たちだ。

「まずは、前と同じように、俺たちが行く。ライアン、そっちの指示は、任せた」
「心得ました」



え……?



ソロさんたちが、私を置いて、城へ向かい歩き出す。
ちょっと、ちょっと待ってください。私は、この闘いのために決心してきたのに。
どうして、連れて行ってくださらないのですか……?

姫様と、マーニャさん、ミネアさんは判ります。この地に、敵に、強い思いがあるのだから。
でも、貴方は……ソロさん、貴方は、何もこの闘いに思い入れは無いはずです。
それなのに、何故、私を差し置いて、貴方が行くのですか……!

待ってください、そう言おうとして、心の茨が邪魔をする。
私はこの茨のために、言いたいことも言えず、いい子に過ごしてきた。

でも、でも。

それでも、母は迎えに来たりはしなかった。
何一つ、報われることなんて無かった。
誰かが、この茨を取り去ってくれる、そう信じて今まで生きてきた。

それなのに──!

……どうせ、いい子でいても報われることが無いのなら。
……どうせ、この茨を取り去ってくれる人が現れることが無いのなら。



私は、私の意志で、私の思いで、私の力で、私の心の茨を強引に引きちぎる──。



「……待って、ください。ソロさん……」



傷だらけの私の心が、ズキズキと痛む。
でも、不思議と、心地良い痛み。
縛り付けられるものなど何も無い、私の本当の心。



「代わってください。私が行きます」

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