◆魔物の住む村-3-◆

教会の中は、割れたガラスや壊された椅子などが散乱していた。
その中において、祭壇だけは、埃一つない綺麗な状態が保たれていた。
きっと、ネビンズさんが懸命に掃除しているのだろう。

「おれの治癒呪文がもっとちゃんとしてればよかったんだけどな。やっぱり教義はちゃんと受けておくべきだったよなー」
「私でよければ、治癒呪文を……」
「あー、いいよいいよ。もう、遅いからさ」
治癒呪文は、そもそも傷の治癒力を高め、促進するための呪文だ。既に治癒呪文で限界まで治癒力を高めた傷には、その効果は発揮されない。修行の足りない者が施す治癒呪文は、往々にしてこのようなことが起こる場合が多い。

私は黙って、片付けを始めた。
「悪いな。こんなところ、アリーナ様には見せたくなかったからさ」
確かに、姫様が懸命に救おうとしている村人たちが、このような行動に出ているということを知ったら、姫様は悲しむだろう。村人たちが悪い訳ではない、もちろんネビンズさんが悪い訳でもない。
悪いのは、この村に住み着いた魔物だ。
ここを拠点に、力をつけて、エンドールやサントハイムに攻め込むつもりなのだろう。
化け物が増えていることと、私の周りを包む生臭い空気と。何か、繋がるものがあるように感じる。

「なあ、クリフト。神官長はお元気か?」
「はい。今も変わらず、サランで人々の話に耳を傾けていらっしゃいますよ」
神官長ともなれば、そう国民の前に軽々しく姿をお見せになるものではないと思っていた。
しかし、神官長は城に篭るようなこともなさらず、国儀の無い時はサランの教会で人々の話を聞き、教えを説く。神官だけでは無く、人々からも厚い信頼を寄せられている人物だ。
「そっかー。たまには会いに行きてえなあ。サランが懐かしいなー」
確か、サランの街には、ネビンズさんの両親が住んでいたはずだ。本当は神官長ではなく、ご家族に会いたいのではないだろうか。

神官学校時代の懐かしい思い出話に浸りながら、私たちは片付けを進めた。

溜まった塵を外に運んでいくと、既に東の空がうっすらと白んでいた。
「ネビンズさん。ちょっと、出てきます。すぐに戻りますから」
私は少し、気がかりなことがあった。村のはずれにある、あの墓地へ向かう。

真新しい十字架には、美しい花が供えられている。
おそらく、これが、自ら生贄になった娘さんの墓なのだろう。

私は、そっと、十字架に手のひらを向け、目を閉じた。

『聞こえますか……』

天に召された魂へ、私はそっと語りかける。
返事は、無い。
私はさらに気を集中させて、魂へ語りかける。
少しでも、魔物のことを知っているのなら、教えて欲しい、と。

「何やってんだい!」
突然の大声に、私はびっくりして振り返った。
そこには、昨日の女性が花と水を持って、立っていた。
「やめておくれ。静かに休ませてやっておくれ。もう、苦しめないでやっておくれ」
「……申し訳、ありません……」
女性は私を押しのけると、墓を色とりどりの花で埋め尽くす。

「……この子はね」
しばらくの沈黙のあと、女性はゆっくりと口を開いた。
「もう、助からない病気だったんだよ。でも必ず治るって信じて、毎日教会へお祈りに行ってたんだ」
私は、何も言えず、ただじっと黙って女性の話に耳を傾ける。
「それでも治る気配が無くってね。そんなときに、魔物がこの村に住み着いた。生贄を差し出さなければ、村人全員を殺す、と言ってね……」
「……それで、自らの身を……?」
「ああ。どうせ助からないんなら、最期にかっこいいところを見せたいなんて言って。馬鹿だよ……」



この方は、娘さんを手放したくは無かったはずなのに。
……私のように、望まれない存在も、あるというのに……。



「……悪かったね、昨日は嫌なこと言っちまって。神様のせいでもなければ、あんたのせいでも、ないんだよね……」
「……いえ。テンペがこのようなことになっているということに気づかず、何もできなかったことは、事実ですから……」
「……ネビンズの、お友達だろ。ネビンズは頑張ったんだよ、村を救うために。判ってるんだよ……村のみんなも」
そう言うと女性はその場に屈みこみ、顔を伏せた。
「だけど。だけど、私たちには神様に縋るしかないんだ。神様に祈りを届けることができなかったネビンズに全てを押し付けてるだけなんだ。ネビンズ以外に魔物に立ち向かった奴なんていない。判ってるんだ。だけど、だけど……神官なんて役に立たないんだって……」
私はそっと、女性の肩に手を置いた。
「……ネビンズさんは、村のみなさんのことを嫌ったりしていません。安心してください。悪いのは誰でもありません。ただひとつ、魔物、だけです」
同じように私も屈みこむと、ゆっくりと、女性に語りかける。



神は、私たちに力を貸してくれるだろうか。
それでも、後戻りはできない。
姫様が旅立たれたのも、きっと、この村を救うための導きなのだろう……。



朝日の中に佇む教会は、昨日の異様な雰囲気とは異なり、神聖な雰囲気を感じる。
窓の割れた箇所や破損した壁はそのままなものの、姫様やブライ様には魔物の仕業、と言えばそれで通じるものになるだろう。
「クリフトー。お前のおかげですっかり綺麗になったよ」
ネビンズさんはとても嬉しそうだ。
その心に、身体に負った傷は深いもののはずなのに、何故、私と違い、笑顔を見せることができるのだろう。
中に入ると、すっきりと片付いた聖堂に、ぴんと張り詰める神聖な空気を感じた。
私とネビンズさんは跪き、神に祈りを捧げる。

「……神様、ってさ」
ネビンズさんが小さな声で囁く。
「祈ってるだけじゃ、ダメなんだよな。祈ってるやつなんて、たくさんいるんだ。その中で、神様に気に入られなきゃならないんだよな」
「祈って、いる、だけでは……」
「ああ。いかに神様に、こいつを助けてやろうって思わせるか、なんだよな。だから……おれは、思う。神様は、自ら行く者を助く、ってな」
ネビンズさんは左足を庇いながら、立ち上がる。

「だから、大丈夫。アリーナ様には、神様がついてる」

……そうか。

自らの力をもって、運命を切り開こうとする者を、神は助けてくださるのだろう。
生贄として犠牲となってしまった娘さんは、自らに残された運命の中で、神の元へ向かい、祈りを届けようとしたのだろう。

その祈りは、届いた。
神は姫様をこの村へ遣わせた。
この村は、姫様がきっと救ってくださる。
私も、微力ながら、この村を救うための手助けをしよう。




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