◆魔物の住む村-1-◆

私が傷の治療をしている間、ブライ様は王様に顛末を報告しに城へ向かわれた。
姫様はうきうきとして、鞄にさまざまな道具を詰め込んでいる。
「姫様。そんなに入れたら重くて持てませんよ」
楽しそうな姫様の表情に、私の顔に小さな笑みがこぼれる。
こんな姫様とずっと一緒にいられたら、私も少しはうまく笑えるようになるだろうか。
「これはクリフトが持つの。あたしは身軽にしておかないと、二人を守れないもん」
そう言うと姫様はぱんぱんに詰まった鞄を私の隣に置く。
ちょっとしたこんなやりとりが、私の古い、しかし深い傷を少しずつ癒していく。

「まずは、テンペあたりに向かってみようかと思うの。最近、顔を出してないし」
このところあちこちに魔物、化け物の類が出現するようになり、サラン以外にはなかなか近寄ることが出来なかった。領土内の様子を知る良い機会でもあるだろう。
「そうですね」
「それでね、あたし、行きたいところがあるの」
姫様は私に耳打ちした。すぐ傍にある姫様のお顔。優しい吐息が私の耳をくすぐり、鳥肌を立てる。
「ど、どちらへ?」
「エンドール。エンドールのコロシアムに行ってみたいの」
なるほど……。姫様の好きそうな場所ではありますね……。
「……では、テンペからフレノールへ抜けて、エンドールへ参りますか」
私の言葉に姫様は満面の笑みで何度も頷いた。

「ねえ、クリフト。ありがとね。あたし、クリフトがあんなこと言ってくれるなんて思わなかったの」
「……しかし、姫様。旅はエンドールまでですよ」
「けちー」
姫様は私の胸のあたりを、何度も軽く小突いた。



「準備はよろしいですかな、姫様」
「あ! ブライ! お父様何か言ってた?」
「……あまり、無茶をされないように、とのことです」
姫様はブライ様の手をとり、ぶんぶんと振り回して大喜びする。



昼食を取ったあと、私たちは再び、険しい山道を登る。
私を襲った巨大なバッタの化け物や、一瞬その愛らしさに目を奪われるスライムなどが現れる。
このあたりの敵は、きちんと準備をし、油断しなければ、それほど恐ろしい敵では無い。
まだ、化け物の範疇だろう。旅人の話を聞く限りでは、魔物、と呼ばれるような恐ろしい敵が出現する場所もあるという。

私も神官用に清められた長身の剣を振り、化け物をなぎ払う。
嗜みとして身につけているこの剣術が、どこまで姫様のお役に立てるだろうか。
姫様の前では、実戦経験の無い私の剣術は、児戯にも等しい。

しかし、化け物の数が多すぎる。
数年前にテンペへ向かったときは、こんなに化け物はいなかったはずだ。
私一人でも、朝早く発ち、昼過ぎにはテンペに辿り着いた。
今は、姫様がいなければ、山越えすることも難しいだろう。そういえば、最近はあまりサントハイムに商人や旅人の姿を見ない。
ふと辺りを見回すと、服や帽子などが散乱している箇所が多く見受けられる。
これは……。……あまり、考えたくない……。



西の空が赤く染まるころ、テンペの村が見えてきた。夜になる前に、テンペに到着できそうだ。
「もうすぐ到着ねー。早くお風呂に入りたいなあ」
姫様は汗と泥にまみれ、身体を手でぱたぱたと扇ぐ。姫様に比べると、私やブライ様は綺麗な格好のままだ。少し、恥ずかしくなってくる。
「……?」
ふと、私を包む生臭い空気が、その密度を増したような気がした。
魔物の気配か、と背の剣に手をかけ、思わず辺りを見回す。
「どうした、クリフト」
ブライ様が杖を構え、詠唱の体制をとる。
「……いえ、気のせいだったようです。失礼しました」
剣から手を離す私を見て、姫様は早足でテンペの村へ向かって行った。



「……なあに? テンペって、こんな村だっけ……」
……ここは本当に、人々が暮らす村なのだろうか?
あまりに澱んだ空気、活気の無い空気。色鮮やかなはずの風景は、その色を失って見える。
ここはエンドールへの道において、重要な宿場町のはずなのに。
姫様も心配そうに、村の人々を眺めていた。

一人の女性が、村の外れにある墓にぼんやりと佇んでいた。
歳は三十半ばくらいだろうか。疲れの見える表情に、生気の無い目。
村に入って来た私たちに気がつくと、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「……サントハイムの神官さん、かい……」
「……は、はい」
女性は私の顔を見つめると、大きなため息をついた。

「……あんたの神様は、酷い神様だね……」

それだけ言うと、女性はゆっくりと家路につく。
予想もしなかった言葉に、私は真意を理解することが出来なかった。

「……この村に、何かが、起こっているのだろうな……」
ブライ様の言葉に、私はふと我に返る。
「お父様は何か知っているのかしら。この村の出来事……」
そうだ。城からは少し離れているものの、領土内の出来事だ。しかし、テンペがこのようになっているなどということは、私たち神官にも伝わってきていない。

何かが、狂っているのだろうか……?
私の心の靄が、再びその姿を見せた。

「クリフトー!」
背後から私を呼ぶ声がした。驚いて振り向くと、そこには神官学校時代の学友が手を振っていた。
「……ネビンズさん……」
「久しぶりだな。元気にやってるか?」
私と色違いの神官服に身を包んだネビンズさんは、学校時代と少しも変わることなく、がさつにニコニコと笑う。
私はこの人が苦手だ。
神官とは縁のなさそうなその騒々しい存在。神に仕える者としては落ち着きが無さ過ぎる。成績も常に落第寸前。そのくせ学校をサボる。そんな存在が腹立たしかった。
「あ! アリーナ様? そんな小汚い格好しちゃって判らなかったよ! こんな辺境にようこそー!」
「なあに? クリフトのお友達ー? よろしくね!」
ネビンズさんが差し出した右手を、姫様は笑顔で握り締める。私の顔が一瞬、強張る。
……私には、このような真似は出来ない。
……きっと、私に出来ないことを軽々しくこなすネビンズさんが、羨ましくもあるのだろう。
「こら! 姫様になんという馴れ馴れしいことを!」
ブライ様が二人の間に割って入り、その手を引き剥がす。ブライ様の行動に私は安堵した。

「……ネビンズさん。この村の様子は、一体何事ですか? 城にも伝わっていないのですが……」
「えっ? お前ら村を助けに来てくれたんじゃないのか?」
今まで笑顔だったネビンズさんが、初めて表情を曇らせた。姫様もブライ様も、何事かとネビンズさんを見つめる。
「……10日くらい前に、城にテンペのやつが来なかったか?」
「いや。そのような話は聞いておらん」
「ほら、革の帽子を被って、歳はおれと同じくらいで」
「クリフト、何か聞いているか」
「……いいえ」
おそらく、サントハイムへこの村の危機を伝えるために出発した若者というのは、途中の山道で……。
必死に問いかけるネビンズさんの顔が、だんだんと悲しそうになってくる。

「もう、何でもいいわよ! 何が起こってるの、この村に!」
姫様が痺れをきらして、大きな声をあげた。
どんよりと漂っていた空気が、姫様の声で再び流れを見せた。

いつにない真面目な表情で、ネビンズさんが口を開いた。



「魔物が。魔物が住み着いたんだよ、この村に」





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