◆雪の降る街を-2-◆

「いっちばーん!」
透き通る高い声に、はっと意識を取り戻した。いつの間にか眠ってしまったようだ。
外は既に明るく、鳥の鳴き声が聞こえた。
「……あれ?」
声の主は、私よりも少し年下の少女。柔らかい巻き髪に、雪のような白い肌。ひと目で、高貴な身分の少女なのだろうと思わせた。
「あなた、だあれ?」
「……」
あどけないその声に、私は答えることができなかった。夜が明けても、母は来なかったのか──。
「アリーナ。お待ちなさい」

あ──そうだ。この方は──姫様、だ。

「お母様、今日はあたし一番じゃなかったよー」
姫様が縋りつくのは、若くしてこの世を去ってしまった、王妃様だ──。
この国に縁の無い幼い私に、そんなことは判らなかったけれど。

奥から神官長が姿を現し、王妃様に何かをお話しになる。私に向けられる視線。おそらくは私のことをお話しになっているのだろう……。

「坊や。お名前は?」
王妃様は屈んで、椅子に座る私と目線を合わせる。聖母のような微笑と、美しいお声──。
「……クリフト……」
「そう。クリフト……」

ふわっと、私の身体が浮いた。
王妃様が、私の身体を抱き上げたのだった。



「よく、頑張ったわね。寂しかったでしょう。心細かったでしょう」



ぎゅっと、王妃様は私の身体を抱きしめる。その温もり、優しい化粧の香り、それらは母を連想させて──。

「──……っ!」

堪えていた涙が、溢れる。大きな声を上げて、私は王妃様の腕の中で、ただひたすらに涙を流した。



判っていたんだ。
本当は、判っていたんだ。
母が、私の手を離したあのときに──。



私は──捨てられたのだと。



ただ認めたくないだけだった。
母は私を無条件に愛してくれると信じていた。
私が母を愛し、信頼していたのと同じように。
家族の愛は、絆は、何より強いものなのだと。

そんなものは、嘘だったんだ。偽りだったんだ。奇麗事だったんだ──。
母は──私を、捨てたんだ。



どうして。
母よ、私はそんなに悪い子でしたか。
貴女にとって、私は邪魔者だったのですか。
私は、必要の無い子だったのですか──。



「……いい子で待っててね……」



母の植えつけた小さな言の葉は、茨となって私の心を縛り付ける。
どうして、こんな希望を持たせる言の葉を植えつけていったんだ。
待っていたところで、迎えになど来ないくせに。
それなのに、判っているのに、私はこの茨のせいでいい子でいることしかできない。
それがどれだけ残酷なことなのか、貴女は判っているのですか。
いい子でいれば、いつか貴女は迎えに来るのだと。
貴女が迎えに来ないのは、私が悪い子だからなのだと。
忘れることもできず、ほんの少しの希望に縋りついて、十何年も私を縛り付ける。
いっそ、いらない、と言われた方が、諦めがつくというのに──。
自らの心に植えつけられる罪の重みから逃げているだけではないのですか。
捨てたのではない、ただ、待たせているだけ──それがいつまでかは判らないけれど。
そうして貴女は逃げていたいだけではないのですか──。



こんな思いをするのならば。
私は、人など、愛さない。
愛されなくて、構わない。
そうすれば、裏切られることなんて無い。
苦しむことも無い。

それでも──。

私は、愛を思い出してしまった。
愛されたいと願ってしまった。
──決して、実ることの無い愛だというのに。

見捨てられるのは嫌だ。
邪魔者になるのは嫌だ。
必要とされていたい。
私でなければダメなのだと。

誰よりも、一番に、私を包む愛が欲しい。
一度も味わったことの無い、誰よりも一番に愛される悦びを味わいたい。
愛し合うことの幸せを味わいたい。

笑いたい。
心から、笑ってみたい。
笑うということが、楽しいということが、どれだけ嬉しいものなのかを味わいたい。



誰か。誰か。誰か。
私の心の茨を取り去ってください。
いい子でいることしかできない、私の心を縛る茨を、取り去ってください。
人の顔色を窺って、嫌われないようにこそこそと動き回る卑怯な私の心を、助けてください。



寒い。寒い。寒い──。
身体が震える。
今年も、冬がやってくる──。

雪の降る街を行く足音は、いつか、私を迎えに来てくれますか──。


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