◆雪の降る街を-1-◆

寒い寒い雪の日──。
私は誰かと手を繋いで、その道を行く──。

「……お母さん……寒い……」
ああ、そうだ。幼い私の右手を握るのは、母の手だ──。
「もう少しよ。もう少しだから……」
母は歩みを緩めない。ざくざくと新雪を踏みしめる足音だけが響く。

街の明かりが見えた。いつもなら嬉しいはずの街の明かりが、酷く冷たいものに感じて、思わず母の手を握る手に力を籠めた。
「……ほら、もうすぐ……」

私には、父の記憶は無い。
貧しい家に、母ひとり子ひとり。
聞いてはいけないことのように感じて、私は父のことを母に尋ねたことは無かった。

街の中の教会──幼い私には判らなかったが……ここは、サランの街だ。
教会の扉の前で、母は身体に付いた雪を払い落とす。私もそれを真似て、外套をばさばさと乱暴に振った。
扉の前には──男が、ひとり。ふと見れば、母はその男と何か言葉を交わしていた。
私がじっと見つめていることに気づいた男が、母に何かを促した。母は教会の重い扉を開けて──その中へと私を導いた。

賛美歌が聖堂に響く。わぁんと響き渡る歌声が、遠くで吼える獣の声のようで、少しの恐怖を感じた。

母は、私を一番後ろの椅子に座らせた。

「お母さん……」
離された手に、言い様の無い不安を感じる。温もりが無くなり、身体がしんと冷えていく──。
「お母さんは少しご用があるから。いい子で待っててね……」
母の言葉は、いつも留守番をする私にかける言葉。それなのに、その日はその声が遠く遠く──。
思わず、母の外套の裾を掴む。

「……やだ……」
「いい子だから。クリフト……。あなたは、いい子でしょ……?」
そっと、母は私の手を裾から離す。その手で私の頭を撫でた。
「……いい子で待っててね……」



そして母は教会の外へ出た。
──扉が閉まる直前に見えた……母と男が手を取り合っていた姿は、幻だろうか──。



賛美歌が、終わる。
祭壇では初老の男性が、幼い私にはその意味が判らない言葉を発していた。



人々が教会を後にする。皆、幸せそうな笑顔──。



「坊や。今日はもう、お祈りは終わりだよ」
祭壇にいた男性が私に声をかける。あ、この方……神官長だ……。
「……お母さんが……。ご用があるから、ここで待ってて、って……」
静まり返った聖堂は、幼い私の心に恐怖を与える。ひとりきりになってしまったことが怖くて、心細くて。涙が出そうになっても、私は……いい子でいるために、その涙を堪えた。
「……そうか。おじいちゃんは奥にいるから、何かあったらいつでもおいで」
母が私にしたのと同じように、神官長は私の頭を撫でる。

誰も居なくなった、聖堂。
美しいステンドグラスも、神聖な神の像も、幼い私には全てが恐怖に感じた。

手袋が、靴下が、溶けた雪でぐっしょりと濡れる。それは手足を冷やし、冷たさを通り越して痛みを与えた。その手袋と靴下を脱ぐと、手足には霜焼。はあ、と暖かい息を吐き当てて、こすり合わせた。
──ご用は、まだ終わらないのだろうか──。



「寒いでしょう。奥にいらっしゃい。火を焚いてありますよ」
シスターの申し出に、私は首を横に振る。少し奥に行っている間に、母が戻ってくるように感じて。
シスターは一度奥に戻ると、毛布と……温かいミルクを私に渡す。
毛布にくるまって、ミルクに口をつける。その温かさは冷え切った私の身体を温めるものの──心までは、温まることは無かった。

数人の神官が、燭台の蝋燭に火を灯していく。もう、外は暗い。
小さな蝋燭の明かりだけでは聖堂は薄暗く、ゆらゆらと揺れる影が一層の恐怖を煽る。



寒い。寒い。寒い──。
心細くて、痛くて、怖くて──。
どうして、母は戻ってこないのだろうか──。



──私が──悪い子だから──?



もっといい子になります。
お勉強もします。
好き嫌いもしません。
お母さんに迷惑なんてかけません。
大きくなったらいっぱいお金を稼いで、お母さんに楽をさせてみせます──。

だから……神様。お願いです。



お母さんが……早く戻ってきますように……。



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