◆美しき、悪-1-◆

「うーん……身体いたぁい……」
いつもより早く目を覚ました姫様が、思い切り身体を伸ばした。
それもそうだ。やわらかなベッドとは違い、固い地面でお休みになられたのだから。
「おはようございます、姫様」
いつものように私は声をかけたつもりだった。……それでも、姫様はまだご機嫌が直っていないようだ。ちらりと私の顔をみて、消え入りそうな声で、うん、とお答えになられただけだった。

──正直、つらい。

火にかけた鍋の中身をかき回しながら、ため息をつく。
ブライ様も私たちの話し声で目を覚まされた。姫様はブライ様とは、にこやかに挨拶を交わされた。

「……どうぞ、姫様」
暖かい野菜スープを姫様とブライ様に差し出す。野宿ではこの程度の食事しか用意できない。私と異なり、身体を動かす姫様には、これだけでは足りないのではないだろうか……。
「姫様。ここから南下して旅の扉を抜ければ、いよいよエンドール城ですな」
「うーん……あたし、あれ苦手なのよね。なんとかならないのかなあ……」
こんな簡単な日常会話にすら加わることができない。姫様とブライ様の会話が、遠いものに感じる。
──どうしたら、元通りになれるのだろう。



悪循環。
闘いの最中も、姫様のことばかり考えて、集中力が続かない。
「何やってるのクリフト、危ないでしょ!」
「クリフト、集中しろ!」
姫様が、ブライ様が私を叱咤する。そのたびはっと我に返るものの、すぐに自分が情けなくなり、姫様はそんな私を見てますますご機嫌を悪くされ……。

旅の扉に到着した頃には、私は姫様に治癒呪文をかけることすら許されなくなった。
姫様は薬草で傷を癒す。



旅の扉に身を投じた私たちは、古代の不思議な力の波に身を委ね、新しい地へと旅立っていく。
姫様は苦手と申されたが、私はこの旅の扉の感覚が好きだ。
この波に身体を委ねると、どこか懐かしく、安心する感覚……。
ゆらゆらと揺れる空間。それは俗世を忘れさせる静寂──。

「き、気持ち悪〜」
「う、うむ……」
姫様とブライ様は、どうやら旅の扉に酔ってしまったようだ。
めったに見ることができない私の強い部分に、姫様とブライ様は恨めしそうな顔を向ける。
……こんなことでやっかまれても、あまり、嬉しくは無いのですが……。



しばらく休息の後、エンドール城へ向かって歩き出す。
……ふと辺りを見れば、屈強そうな男が多く城へ向かっているようだ。姫様もだんだんと嬉しそうな表情になっていく。
「さあ、もうすぐもうすぐ! もうすぐ憧れのコロシアム! よかった間に合った!」
間に合った? これは……何か、ある。私はそう直感した。



エンドール城下町に入った私は、その賑やかさに目を疑った。
……エンドールは確かに賑やかな国だ。しかし、このお祭り騒ぎ……。

『ようこそ世界一の猛者』
『最強はあなたの手に!』
『男を見せろ!』

……。

「何よー男を見せろって。女だっていいじゃないねえ?」
ようやく姫様は、私に笑顔で語りかけた。しかし……。
「……姫様。一体、何をなさるおつもりですか?」
姫様が何か企むような笑顔で指差す先、それはコロシアム。

『第十回 エンドール武術大会』

…………。

「……姫様。見学、ですよね? もちろん……」
「やーねえクリフト。ほんとはそんなこと思ってないでしょ?」

………………。

ええ、思っていません……。
もちろん……参加されるのでしょうね……。

思わず、私は頭をかかえる。

「なりません姫様! 何を企んでおるのかと思ったら! 一国の姫がこのような野蛮な大会に出場などとんでもない! 前代未聞ですぞ!」
「クリフト行こ! 受付はあっちだって!」
「ぉわっ」
ブライ様のお小言を遮って、姫様は私の手を引く。
──ご機嫌は直ったようだ。よかった。……よかった、のか? これは。



「あ、アリーナ様でいらっしゃいますか!?」
受付の兵士が、姫様のお姿を見て驚きの声をあげる。それはそうだ。一国の姫が武術大会の来賓では無く、出場を希望されているのだから。
受付が慌しくバタバタと動き回り、しばらくすると、エンドール王の使いが早足で姿を見せた。
「アリーナ様、ブライ様、事前に使いを遣していただければすぐにお出迎えをいたしましたのに……」
そう言うと、王様の元へご案内します、と、私たちを導いた。
──少し進んで、城門の前で……。

「……失礼ですが、あなた様は?」

王の使いは、私を指している。

「あ……私はサントハイムの神官で、クリフトと申します……」
神官、という言葉に、王の使いは少し怪訝な顔を見せた。

エンドールには、信仰する神はいない。
──神という不確かな存在には頼らず、目に見える力が全て。それが、エンドールの方針だ。
私はそれが悪いことだとは思わない。
ただ、神官という存在は、エンドールの民にとっては、奇異な存在なのだろう。

「こやつは治癒呪文を操ります。姫様の護衛のために共をしております。お気遣い無く」
ブライ様の言葉に、王の使いは小さく、はぁ、と答え、城門を開けた。



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