◆傷-1-◆

何日目かの、船旅。
相変わらず荒れる海に、船が揺れる。

「うわあー! かわいいー! ぜんぜんトルネコに似てないのね!」
「ちょっとマーニャさん、その言い方は無いでしょう……」
「奥さん美人だなあ。どうやって捕まえたんだよー」

船室にはソロさん、マーニャさん、トルネコさんと、私。
トルネコさんが見せているのは、家族の写真……。
「ねえねえクリフト、見てよこれー。似てないよねー。お母さんに似てよかったと思わない?」
嬉しそうに微笑むトルネコさんの隣に、陽気そうな女性と、利発そうな男の子。
写真の中の家族は、幸せに包まれ、暖かい表情を浮かべているのに……。



「……置いて、きたのですか、家族を」
「……え? あ、は、はい……?」



笑顔だったソロさんの表情が、一瞬で曇った。
マーニャさんがはっとして、写真を引っ込めた。
トルネコさんは訳が判らないといった雰囲気で、オロオロとするばかり。

置いてきたのか。これほどまでに幸せそうな家族を。
そう思うと、残された二人のことを思うと、言い様の無い怒りがこみ上げてくる。

「家族を捨ててまで、貴方は何を求めているのですか」
「す、捨てるだなんて。ネネもポポロも私の夢を応援してくれています。きちんと、見送りもしてくれました」
「夢、ですか。家族よりも夢が大事なんですね。残された家族の不安なんて、考えもしないで、貴方はのうのうと笑顔で過ごして……」

残される側が、行かないで、などと言える訳が無い。
それは……信じている人に、嫌われたくなんて無いから……。
何かを言おうとして、私の心の茨が、邪魔をする。
言葉が、出ない。



「……クリフト……お前……」
ソロさんが、そんな私に声をかける。恐ろしい表情で……。
「俺、お前の過去の話をアリーナから聞いて……ちょっとは、可哀想なヤツなんだと思ってた。でも……」
その声が、少し、湿っていた。



「そうじゃねえ。お前がそんなヤツだからだ。……だから、お前は捨てられたんだよ!」



「……あ……」
何だ、これは。
ソロさんのその声に反応して、私の瞳から涙が溢れる。
悲しいとか、悔しいとか、そんな感情すら無い。
ただ、溢れてくる涙が止まらない。
言い返したいのに、そんなこと無いと、貴方にそんなこと言われる筋合いは無いと。
「ち、違……これ……」
本当に、ただ、涙が溢れてくる。いつもみたいに、息苦しいなんてことも無く……。



「ソロ。言いすぎよ。クリフトに謝りなさい」
マーニャさんが立ち上がり、ソロさんに厳しい声で言った。
以前の、キングレオに対する、負けない、という声に近く──。

「……ライアンと、代わってくる」
くるりと背を向けて、ソロさんが急ぎ足で船室から去っていった。
相変わらずオロオロと、トルネコさんが不安そうな顔で私たちを見る。

止まらない。
涙が、止まらない。



「……クリフト、こっち。立てる?」
そっと、マーニャさんが私の腕をとり、自らの肩にかける。
力の入らない身体を、マーニャさんに預けた。
「ここに、横になって」
荷物の陰に、マーニャさんが私の身体を横たえる。
すっぽりと、頭まで、毛布を掛けられた。
まだ、涙は、止まらない。



「……ごめんね。ソロも、悪気がある訳じゃないのよ。アンタに自分を重ねてるだけなのよ」



毛布の暖かさに、少しずつ、感情が戻ってくる。
そうだ……一番、認めたくなかった、そうじゃないんだ、と思っていたかったこと。
それなのに、どうしても心のどこかで、もしかして、と思っていたこと。

私が──悪い子だから。
だから、私は、捨てられた。だから、母は、迎えに来ない。

その思いを否定して、閉じ込めて、必死に生きてきたのに、ソロさんの言葉が一瞬にして私の心の傷を抉っていく。



「……どうか、しましたか?」
ライアンさんの声だ。こんな姿を見られたくなくて、私は毛布をぎゅっと噛み締めた。
「ああ、ちょっとクリフトが船酔いしちゃってね。もう、何度倒れたら元気になってくれるのかなあ」
そう言うと、マーニャさんが強めに私の身体を数回叩いた。
そのまま、いつもの賑やかな明るい声を振る舞いながら、私の傍を離れていく。



マーニャさん。
私は、貴女に、あんな酷いことを言ったのに、それでも、まだ、私を気にかけてくださるのですか。
大切な、仲間。
私にも、いつか、そんな言葉を、胸を張って、言えるようになりますか。
嫉妬に狂って、この身体を、心すらを悪に染め上げようとしている私でも。

「……でね〜。もうあのとき大変だったのよ〜。ミネアったらアタシのこと放ってさあ……」

いつもより大きな、マーニャさんの声。
それは、私の小さな泣き声を、かき消してくれるかのように。

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