◆心の闇◆

陽は一日一日と、短くなっていく。
初めての野宿となった。

私がひとりで向かった洞窟を少し過ぎたところで腰を下ろし、野営の準備をする。
昼間はそれほどでは無いものの、一夜ごとに夜の冷え込みが増す。私は薪を拾い、火の番をする。
「私は街でゆっくり休みましたので、どうぞ姫様とブライ様はお休みになってください」
ひとりで来たときにはあれほどまでに恐怖を感じた森の闇に、姫様とブライ様がいることで全く恐怖を感じない。不寝番を務め、火を絶やさないようにしよう。

大きなあくびをした姫様が、何故か私の外套を身体に巻きつけて横になる。姫様に外套を取られた私は、姫様のショールを膝に掛けた。
ブライ様もご自分の外套を羽織り、横になる。よほど疲れたのか、おふたりはすぐに小さな寝息を立てた。



明るい炎の影に、姫様の姿がゆらぐ。
私はじっと、その寝顔を見つめた。

──落ち着いてみれば、やはり、あのとき感じた心の闇は──恐怖が私に与えた幻だったのだろう。
姫様に愛されたいなど、なんと恐れ多いことを。失礼なことを。私のこの気持ちは、決して異性に対する想いなどでは無く……主君を思う、臣下の忠誠心だ。
修行が……足りないのだろう。そのような欲を感じることは。

「くしゅん」

冷たい空気が私の鼻をくすぐり、思わずくしゃみが出た。それに反応するかのように、姫様が小さな声を立てて寝返りを打った。
……起こして、しまっただろうか……?

「くしゅん」

姫様が、くしゃみをされた。寒いのだろうか。私は膝に掛けたショールを姫様に掛けようと、近づく。
ふと、姫様が上半身を起こした。私は慌てて一歩下がる。
「……」
まだ少しぼうっとしたお顔で、姫様は私を見つめる。いや、睨みつけているといった方が良いだろうか。

「あの……姫様……まだ、怒っていらっしゃいますか」
「……だから、怒ってないってば」
「で、でも……私の話など聞いていただけませんし、その……不機嫌そうなお顔をされていて……」
姫様はそのまま私の方を向いて、膝を抱えるようにして座り込んだ。



「……だって……」
目線を斜め下に落とし、口を尖らせる姫様……。
「勝手に、あたしのショール、貸しちゃうしさ……」
「あ……大切な物でしたでしょうか……申し訳ありません」
「……違うよ……」
姫様は私の外套を、すっぽりと頭から被った。

「……あたしのために、あんな危ないこと、したことないのに……」
「そ、そうでしょうか。かなり危ない目に合っているような気がするのですが」
「……違うよ……」
先ほどから、違う、としかおっしゃらない。何が、違うのだろうか?

「別にクリフトに怒ってるわけじゃないの。あたしが……あたしの……」
「……?」
「……もういい。寝る」
そう言うと姫様は私に背を向けて、横になられた。私は再び、ショールを自らの膝に掛け直す。
しばらくすると、姫様の小さな寝息が聞こえてきた。



エンドール城に着いたら……私には、何か処罰が待っている。
そしていつか、姫様との旅も終わりを迎えるのだろう。
私のせいで不機嫌な姫様と一緒にいることは、つらい。けれど……それでも、このまま時が止まってしまえばいいのに、と思う。
どんなに……どんなに祈っても……手を広げても……全てを犠牲にしても……手に入らないものはあるのだろう。神官は、何のためにいるのだろう。今までどれだけの悩める人々の話を聞いてきただろう。自分の心すら癒せない神官が、他人の傷を癒すために。

『……あんたの神様は、酷い神様だね……』

テンペの村で言われた言葉を思い出す。私がいくら神官の修行を積んでも……神は、私を愛してはくれない。

『祈ったって神様は助けてくんないんだ、何のために神官はいるんだ』
『神官なんて役に立たないんだ』

ネビンズさんが言われた言葉を思い出す。

魔物を追い払う力が欲しいなら、戦士を頼ればいい。
魔物を焼き払う炎が欲しいなら、魔法使いを頼ればいい。

では、神官は?
ひとりでは、そのあたりにいる化け物を相手にすることで精一杯だ。
神という不確かな存在に、自分以外の力に、縋りつくだけの卑怯者だ。
自らの欲望を律する枷を嵌めただけの存在だ。

幼いころから神の教えに従って生きてきた私は……今さら、この教えを捨てることもできない。
あのとき、確かに神は私を救ってくださったのだから。

見捨てられるのが、怖い。
神にも。姫様にも。ブライ様にも。私は、誰かに必要とされていたい。
だから私は、嫌われないように世を渡る術を身につけた。

そして……私は、今まで、誰かの一番の存在になったことは無かった……。



私を一番だと言ってくれる人は………………いない。



誰か……私を、助けてください……。
私が必要なのだと、大切なのだと、思いしらせてください……。



火が、燃える。
私の目からこぼれた涙は、きっと、煙のせいなのだろう。



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