◆後悔◆


その日は、姫様の幸せを祝福するかのように、暖かく晴れわたっていた。

サントハイムの教会に、全国から多くの要人が訪れる。
おてんば、じゃじゃ馬として、そして導かれし者の一人として名を馳せる姫様の結婚式。要人だけではなく、多くの庶民もまた、祝福に訪れる。
それは、姫様のお人柄を表わしているといっていいのだろう。

ひときわ大きな歓声があがると、そこに、美しい純白のドレスに身を包んだ姫様の姿が見えた。しっかりと王様と腕を組み、一歩一歩バージンロードを進んでいく。
薄いベールの向こうには、少し照れくさそうに、しかし幸せそうに微笑む姫様の表情が見える。
祭壇の前まで進むと、王様は姫様の手を、一生の伴侶となる新郎のもとへ導く。

その姫様の手をしっかりと握り締める新郎。


私は、その姿を、祭壇からどんな表情で眺めているのだろうか。


姫様のご結婚が決まったのは、半年ほど前のことだった。
世界を救った、勇者ソロ。姫様のお相手としては申し分ない存在だと誰もが認めたものだった。
その話を聞いて、私はあまりの出来事に、目の前が真っ白になった。
この想い。決して実ることのない想いと確信していたはずなのに。
私は、心のどこかで、その確信を否定してくれる何かに期待していたのだろう。
本当に、心から、一点の迷いもなくそう思っていたのであれば。
こんなに、こんなにも、苦しい気持ちになることはないはずなのだから。

『ねえクリフト。あたしの結婚式、クリフトにお願いしたいの……』
姫様が無邪気に、幸せに溢れた表情で、私にそう言われたとき、少し救われた気持ちになった。
もし、姫様が私の想いに気づいていたのであれば、こんなにも残酷な申し出をするようなお方ではないはずだから。
私の想いには、気づかれていないことに安心した。
姫様の結婚式ともなれば、私のような卑しい者が執り行うものではなく、神官長自らが執り行うものになるはずだ。
しかし、姫様は私を望まれた。
相手としてではなく、これからの幸せを見守り祝福する立場を……。

祭壇に立ち、幾度となく口にした祝福の言葉を発する。
私自身、きちんと祝福の言葉を発しているのかはわからない。
もう、何を言っているのか、自分でもわからなかった。
しかし、誰もが笑顔でこちらを見守っている状況から、私はおかしなことは言っていないということを確信できた。

「新郎、ソロ」
「はい」
共に長く苦しい旅を続けた勇者。
この方の存在に、私はどれほど救われただろうか。
私は、姫様の前に立つことはできなかった。
常にソロさんは姫様の前に立ち、的確な指示をする。
剣も。呪文も。非の打ち所のない存在はまさに勇者といえる。
私は、ソロさんには、何一つ勝てるところはなかった……。

「新婦、アリーナ」
「はい」
私は生まれて初めて、姫様の名を敬称なしに発した。
もちろん、これが最初で最後となるのだろう。
ベール越しにも判る姫様の美しさは、神の祝福の元、より輝きを増して見える。
普段が活発だからこそ、こういった厳粛な場に映える存在となるのだろうか。
美しく飾ったその姿は、私のためではなく、ソロさんのため。
ずっと伏し目がちな姫様と私は、一度も目を合わせることはなかった。

「新郎は、新婦のベールを上げてください」
姫様はソロさんに向かい、少し膝を曲げる。ベールが上げられ、いままではっきりと見えなかった姫様の顔が、明るい光に映し出される。
その瞳は、まっすぐ、ソロさんに向けられていた。
私のことなど、目に入らないかのように。

神よ。
あなたは、残酷な試練を与えるのですね……。
これも、私が姫様に邪な気持ちを抱いた罰なのでしょうか……。

あとのことは、はっきりと覚えていない。
ただ目に焼きついたのは、姫様とソロさんが、私の目の前で誓いの口付けを交わした姿だけだった。


姫様とソロさんが腕を組み、教会の外へと歩き出す。
私はその姿を呆然と見つめることしかできない。
姫様。行かないで下さい。
そんな言葉が喉まで出てくる。
でも私には、この結婚式を壊すような度胸はない。
そもそも、姫様に想いを伝えるほどの度胸もない。
私は弱虫だ。
姫様と結ばれることなどない。身分が違いすぎる……。
その確信は、私自身が傷つくことを恐れた、ただの逃げだったのだろう。
私が姫様に想いを伝えられないことへの言い訳。
姫様との心地よい距離感を壊すことへの恐れ。
あのとき。私の想いを伝えていれば。
ここで、姫様と腕を組んで祝福されていたのは、私だったのかもしれない。
どうして、自分で壊すことができなかったのだろう……。
誰かに、壊される前に……。

誰もいなくなった教会の祭壇で、私は涙を流した。
身体が動かず、涙を拭うこともできない。
外では姫様が多くの人に祝福されている声が聞こえる。
花火の音が遠くで聞こえる。
姫様の笑い声が聞こえる。
誰もが祝福しているこの結婚に、私だけが祝福できないなんて。
神官として姫様に祝福を与える立場でありながら。

力をなくした私の腕から聖書が床に落ちる。
それを拾うため、のろのろと私は床に膝をつく。
「……うう……っ……」
そのまま、膝を抱え、私は後悔の涙を流し続けた。
姫様の前でこらえていた涙が溢れる。
今までは姫様のことを考えるのは楽しかったのに。
今は、ただ辛いだけ……。
手をのばせば届きそうなところにいた姫様は、もう、姿すら見えない。
まっすぐ私を見つめていた瞳は、もう私に向くことはない。
噛み締めた唇から血が流れ、口中に鉄の味が広がる。
胃がきりきりと痛む。
頭ががんがんと鳴り続ける。
姫様とソロさんの口付けは、永遠に続くような長さに思えた。
目をそらしたくても、身体が動かなかった。
永遠に、私の心に消えることなく焼きついたその情景。
私は、どんな顔で姫様とソロさんを見ていたのだろうか。

こんな顔を誰にも見られたくなくて、私は裏口からそっと部屋に戻った。
礼服を脱ぐこともせず、ベッドに倒れこむ。
礼服についた金属がチャリチャリと音を立てる。
今、私は、きっと一生の中で一番醜い顔をしているだろう。
嫉妬。後悔。いろいろな感情が浮かんでは消える。
「……ひめ……さま……」
力なく、喉から声がしぼりだされた。
瞼は腫れ上がり、目を開けることもままならない。
瞼の裏に浮かぶのは、苦しくも楽しかったあの旅の記憶。
決して戻ることのできない思い出の情景。

「……クリフトさん? いらっしゃいますか?」
扉をノックする音と、私を呼ぶ声が聞こえた。
そういえば、鍵をかけていなかったような気がする。
私は気配を悟られないよう息をひそめ、声の主が遠ざかるのを待った。
しかし、残酷にも、声の主はドアを開け、部屋へ入ってきた。
「大丈夫ですか? お疲れになったのでしょうか?」
「こ、来ないで下さい……お願いします……」
声の主はミネアさんのようだ。
「みなさん、探していましたよ。クリフトさんの姿が見えないって」
私の願いなどおかまいなく、ミネアさんはベッドに近づいてくる。
「来るなあ!!」
自分でも驚くような声と、言葉遣いだった。
ミネアさんがはっと息を呑んだ音が聞こえた。
「ごめんなさい……」
ミネアさんはひどく怯えた声で、私に謝る。
謝るのは私のほうなのに。
「……す……すみません……あの……私は……今きっと、醜い顔をしています。 だから……来ないでください。見ないでください。一人にしておいてください」
すっかり乾いてしまったはずの涙がこみ上げて、私は毛布を強く噛んだ。
私はなんて醜いのだろう。姫様を祝福することもできず、ミネアさんに暴言を吐いて。
神に仕える身として、いや、それ以前に人として。
「アリーナさんは……クリフトさんに感謝していましたよ。クリフトさんにお礼が言いたいって、探しているのです……」
きっと姫様は無邪気な笑顔で、私に、ありがとっ! って言うのだろう。
私が姫様に回復呪文をかけて差し上げたときのように。
「会えません。姫様には。こんな醜い姿と心で。お願いです。私のことは見なかったことにしてください……」
「判りました……」
ミネアさんは、怯えとも心配ともつかない声を発すると、静かに部屋を出た。

「……気持ち、悪……」
ここ一週間、ろくに食べ物が喉を通らないのに、ずっと吐き気がしていた。
ミネアさんが去ってから、また吐き気が戻る。
よろよろと部屋から出て、手洗いへ向かう。
吐くものなんて、何もないはずなのに。
礼服はもうぐしゃぐしゃだ。
こんなだらしのない姿、自分でも初めてだ。
一人で歩くこともままならず、壁づたいに必死に歩く。
部屋から少し出たところで、急激に意識が遠くなり、目の前に床が見えた。
鈍い痛みと共に、頬に冷たい石の感覚が伝わってきた。

そういえば、旅の途中にも……。
こんなときが、あった気がする。
気づけば口に広がる苦い味。
そのとたんに鉛のような身体が、羽根のように軽くなった。
『クリフト、クリフト……』
泣きそうな、怒っているような、そんな姫様の声が聞こえてきて、そのときは目を覚ましたはずだ。
もし、今。
目を覚ましたら。
あのときに、戻れていたら。
戻ってきた意識に、私はそっと目を開けた。

誰もいない。

ああ、これが、現実なのですね……。
倒れたときに打った頭から、少し血が流れていた。
心の痛みに加えて、身体の痛み。
もう、ぼろぼろだ。

立ち上がることもできず、身体を引きずって部屋に戻る。
礼服は擦り切れ、ところどころに血や泥がついてしまっている。
神官長に、叱られるだろうな……。

空にひときわ大きな花火が上がり、大きな歓声が上がった。
城の外は祝福に包まれているというのに、今の私は何だろう。
あまりにみじめな姿に、姫様を失った悲しみとは別の涙が溢れてくる。
「あはは……」
その姿があまりに可笑しくて。私は小さな笑い声を上げた。
「何、してるんでしょうね、私は……」

「クリフト!」
どこかで懐かしい声が私を呼んでいる。
思い出の中の声だ。
私は、夢を見ているのだろうか……。
「クリフト。クリフト! しっかりしてよ!」
ぼんやりと目に映る白い影が、力強く肩を揺すった。
ああ、この影……純白のドレスに身を包んだ、姫様の姿だ。
「……ひめさま……?」
私の口から、力のない声が再び漏れた。
「バカ。具合悪いなら、無理しないでよ……」
姫様の後ろに、申し訳なさそうな表情でミネアさんが立っていた。
そうか……ミネアさんが、嘘なんてつけるはずがなかった。
「……申し訳ありません。姫様の大切な日に……」
姫様は私の心の傷には気づいていないようだ。
鈍感すぎる姫様の心に、このときは救われた。
「いつも、そうなのよ、クリフトは。倒れるまで何も言わないんだから」
真っ白なハンカチで、姫様は私の顔を拭う。少し乱暴なその行為に、私は不思議な心地よさを感じた。
姫様は、何も変わっていなかった……。
「あのね。クリフト」
私の顔をひととおり拭き終えると、姫様は姿勢を正して、私に向かった。
「今日は、本当にありがとう。私、幸せになるね。そしてサントハイムのため、ソロと二人で、頑張るよ。クリフト。今まで、本当にありがとう。あたしが、安心して旅に出られたのも。今日、この日を迎えたのも。クリフトのおかげだと思ってるよ」

ああ……

私は、今、自分の心を恥じた。
こんな醜い心に。
姫様はなんと暖かい言葉をかけてくださるのか。

何を躊躇うことがあったのだろうか。
私は、姫様の幸せを願っていた。
姫様は今、幸せな笑顔でそこにいるのに。

「……おめでとう、ございます。お幸せに……」
ようやく、言えた。
心から、祝福の言葉を。
サントハイムの素晴らしい姫のために。
私はこの方を愛したことを、決して後悔しない。


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