◆りんごの香り◆ 「姫様。具合はいかがですか?」 宿のベッドに横たわるあたしに、そっと声をかけてきたのはクリフト。 「んー……」 思わず、気だるそうな声で答える。 三日ほど前から、身体がだるくて、熱が下がらなかった。 重い身体を、少しだけ持ち上げた。 「クリフトぉー。りんご、むいてぇー」 「はい」 クリフトは優しく微笑むと、テーブルに置かれた籠からりんごを取り出した。 さくさくと、簡単に皮を剥いていく。器用だなー、クリフト。 ちょっとワガママ言っても、病気だと、クリフトはなんでも言うことをきいてくれる。 嬉しいなー。このまま、病気でもいいかもなー。 「はい、どうぞ」 小分けにされたりんごをお皿に盛って、フォークを添えて、あたしに手渡そうとする。 ……そうだ。 「あーん」 「……は?」 クリフトの手が、ぴたっと止まった。 「食べさせてー。身体がだるくって……」 今まで、あたしのどんなワガママにも応えてくれたクリフトが、初めて戸惑いをみせた。 もう一度、言ってみる。 「あーん」 「……」 少し難しい顔をしたクリフトが、フォークにりんごを刺した。 震える手で、あたしの口にりんごを運ぶ。 「おいしーい」 「……今日、だけですよ……」 クリフトは少しきょろきょろとして、小さな声で言った。 「今、みなさんはパデキアを取りに行ってますから……」 え。それって、あたしのため? やだ、クリフトみたいな酷い病気じゃないのに……。 「……今、クリフトとあたししか、いないの?」 「……はい」 クリフトがもうひとつ、りんごをあたしの口に入れた。 「……なんか、まだ、だるくって寒気がするの……」 あたしはいくつかりんごを食べた後、布団にくるまって横になった。 「もう少ししたら、みなさんが戻ってきますから。それまで、ごゆっくりお休みください」 残っていたりんごを、クリフトがひょいと口に入れた。 「でもさー。パデキアって、苦いんでしょ? やだな……」 「そうですね。私もあんなに不味いものは初めて口にしました」 ちょっと。満面の笑みで脅さないでよー。 「……では、隣の部屋にいますので、何かあったらお呼びください」 「……待って、クリフト……」 ドアノブに手をかけたクリフトを、あたしは思わず呼び止める。 「ねえ、ひとりでいると心細いの。ここにいて」 クリフトの肩が、ぴくっと動いた。 「……だめ?」 わざと、弱々しく、聞いてみる。 「……構いませんよ」 振り返ったクリフトは、笑顔。 ベッドの脇にある椅子に、腰を下ろした。 今日は、ソロのバタバタという足音も聞こえない。 ライアンが剣を振るときの掛け声も聞こえない。 マーニャの甲高い笑い声も聞こえない。 ミネアがマーニャを叱る声も聞こえない。 トルネコが弾く算盤の音も聞こえない。 ブライのお説教も聞こえない。 聞こえているのは、クリフトの優しい息遣いだけ……。 こんなに、世界って、静かだったんだなー。 「ん……」 あれ。いつの間にか、暗くなってる。クリフトがランプに火を灯していた。 「目が覚めましたか、姫様」 暗い部屋の中に、やわらかなランプの灯り。その中にクリフトの姿が浮かぶ。 なんだか、急に、心細くなってくる……。 「クリフトぉ」 「なんでしょうか」 あー、ちゃんとクリフトはあたしの声に応えてくれる。 そんなちょっとしたことなのに、安心する。 「ねえ。寒いの。一緒に寝よ」 あたしは布団を捲って、クリフトを誘う。 「……はぁ!?」 素っ頓狂な声。そんな声を聞いて、思わずもっとクリフトにワガママを言いたくなる。 「そ、そのようなことは……ちょっと……」 「……ダメなんだ。あたし、寒くって、心細くって……このまま、死んじゃうのかなあ……」 「何をおっしゃっているのですか、もうすぐみなさんがパデキアを持ってきてくださいますよ」 ベッドの上から、クリフトがあたしを覗き込む。ベッドについた手を、あたしはそっと握った。 「ねえ、みんなが帰ってくるまででいいから」 「……」 暗くって、クリフトの顔が見えない。きっと、ものすごく困った顔をしてるんだろうなあ。 「……今日、だけですよ……?」 クリフトが、やけにゆっくりとした動作で、ベッドに入ってくる。 「うふふっ」 クリフトはお祈りをするときみたいに手を組んで、ぎゅっと目を閉じたまま上を向いている。 「ねえ、クリフトぉ」 「……なんでしょうか」 「うでまくらー」 「……今日、だけですよ……」 さっきとおんなじ言葉。クリフトは左腕を、あたしの頭の下に入れた。 あったかいなー。 あたしは思わず、クリフトの方を向く。 そのとき。クリフトも、あたしの方を向いた。 右腕で、あたしの身体をしっかりと抱きしめる。 「……今日、だけですよ……」 その言葉は、クリフトが自分に言い聞かせてるみたい。 「……姫様」 「なあに?」 「もう、熱は下がっているようですけど?」 あちゃー。 「……ばれた?」 「はい」 「……怒ってる?」 「いいえ」 あたしを抱きしめる腕に、力が篭る。 ──あたしとクリフトの息が、触れ合った。 りんごの、優しい香りがする。 「……姫様、あの」 「……クリフト、あのね」 思わず出た言葉まで、触れ合った。 そのとき。 バタバタっと、大きな音がした。 クリフトが慌ててベッドから飛び起きる。 「アリーナー! パデキア持ってきたぜー!」 ああ、この足音、ソロの足音だあ。 ライアンがなんだか叫んでる。 マーニャは相変わらず大きな声。 ミネアは病人がいるんだから、とマーニャを叱る。 トルネコは余分に取ってきたパデキアで商売を試みているみたい。 ブライはいまにも、姫様! なんてお説教を始めそう。 みんなに心配かけちゃったなあ。 ごめんね。 ……でも、たまには病気もいいよね。 ふわっと、優しいりんごの香りと、クリフトの温もりが残っていた。 |
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