◆一度きりの夢◆ 夢を見た……。 夕焼け空。綺麗な桜の木の下で、あたしは誰かを待っていた。 風に舞い散る花びらが雪のように足元へ積もっていく。 春の暖かい風の香りがあたしに心地よい安らぎを運んでくる。 ドキドキする。 今までに感じたことのない気持ち。 「きゃっ……」 急に吹いた強い風に、あたしの帽子がさらわれた。 「……」 ──えっ……? ──なあに……? 誰かの声が聞こえた。 あたしの手に、帽子が手渡される。 あ……。 「もう、遅いじゃないの……待ってたのよ」 「それで、どんな姿だった?」 「姫様がご存知の者ですか、それとも全く知らぬ者ですか」 お父様とブライに夢の話をすると、身を乗り出して細かいことを質問してくる。 いつごろ? どの場所で? どのくらい待って? もう、うんざり。 「姿は……」 あれ……? どんなだったっけ……? 「たしか……深い深い碧色をした、とっても綺麗な服を着てた……」 まるで、森の中のような、美しい碧色の服。ところどころに散りばめられた銀細工や宝石の数々。 ひと目で高貴な装束なんだろうということが窺えた。 「……けど、顔は判んないな……」 「そうか……」 お父様は目を閉じて、自分の顎鬚をいじり始めた。何か真剣な考え事をしているみたい。 「……もし、心当たりのある人物を見かけたら、すぐに知らせてくれ」 「王様がそのようなことを?」 少し暖かくなってきた陽気の下、あたしとクリフトは芝生に腰を下ろして今朝の出来事を話していた。 クリフトの服装をいつもよりもじっくりと見つめる。 違う。こんな碧色じゃない。もっともっと、深くて美しい色……。 「そうなんだよねー。お父様もブライも一体何に拘ってるんだろ。ただの夢なのに……」 夢、という言葉を再び口にしたとき、あたしとクリフトの目が合う。 「夢……」 あたしとクリフトの口から、同じ言葉が漏れる。 「姫様。たしか、王家の血には……」 「未来を夢で見る力が……」 お父様はあたしの夢を、予知夢と思っているのかもしれない。 「……でも、あたしには、そんな力は……無いよ」 お父様には、子供のころから未来を見る力があった。あたしは今まで、一度もそんな夢を見たことが無い。 ちょっと悔しいな……。 「どうしてなんだろ……」 「……姫様が、女性だからではないでしょうか……」 うん……そうだね。神官だってみんな男だもんね。強いのだって男だもんね。 あーあ。女に生まれてきて良かったことなんて、一度も無いや。 暖かい日々が続いて、気が付けば桜は満開。それは夢で見た光景にそっくりで──。 あたしは走り出す。夢で見たあの場所を探して。何だか、行かなければならない気がして。 かあん……かあん……かあん……。 遠くで、鐘の音が聞こえた。サランの教会の鐘の音。 ふと、小高い丘の上から、街を振り返る。 「あ……」 ……かあん……かあん……。 「……ここだ……」 ──今はまだ青空。ここが夕焼けに染まれば、間違いなくあの夢の風景。 とくん……とくん……と、あたしの胸が鐘の音に共鳴する。 何だろう、ドキドキする。涙が出そう……。 そうだ。思い出した。予知夢を見られないあたしは、お母様にその悩みを打ち明けた。 あたしは本当はお父様の子じゃないんだ、きっとどこかに捨てられてたんでしょ? なんて。 お母様は優しく微笑んで、あたしの頭を撫でながら答えてくれた。 『女の子は、いつか、一度だけ予知夢を見るの。それは、あなたの大切な人が迎えにくる夢……』 そのときは、意味が判らなくて、ふぅん、って言って終わった。 でも──今は、判る。その意味が──。 目を閉じてみる。 早く、早く陽が落ちて欲しい。でも、怖い……。 「きゃっ……」 急に吹いた強い風に、あたしの帽子がさらわれた。 「……」 ──えっ……? ──なあに……? 誰かの声が聞こえた。 夢と同じ。そう、あの夢と……。 恐る恐る、目を開けてみる……。 「……姫様」 ──クリフト──。 いつもと違う、深い深い碧の装束。美しい装飾。 夕焼けの中に佇むクリフトは、何だかとても神聖に見えた……。 「クリフト……その服……?」 「あ、今日は結婚式を執り行っていまして……」 あたしの手に、帽子が手渡される。 そうだ。これはサントハイム神官の正装。 さっきの鐘の音は、クリフトが執り行っていた結婚式の鐘の音なんだ──。 だから、あたしの胸が共鳴したのかな──。 「もう、遅いじゃないの……待ってたのよ」 「……え? 何を……」 優しく微笑むクリフトは、なんだかとてもかっこいい。 これは、装束だけのものなのかな? それとも……。 「あなたが、ここに来るのを」 あたしの見た夢は予知夢。 一度だけ見ることができる、予知夢──。 あの鐘は、いつか私たちを祝福する──。 |
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