◆我儘◆

どうしてあたしはこんなに平気でいられるの?

悲しいはずなのに涙なんて全然出ない。次から次へとあたしに色々な公務が降りかかる。
それらをみんな事務的に片付けて。

「姫様、明日の予定ですが……」
いつもと違う、深い緑の正装をしたクリフトが、何か書類を手にあたしに声をかける。
その服はあっちこっちに銀細工や宝石が付いていて、クリフトが動くたび小さな金属音を立てた。
いつもならそんな音、全然気にならないはずなのに、ここのところやたらとその音が耳障り。
「うるさい! その服、変えてきて!」
「え、そう言われましても……王様の喪が明けるまでは、私たち神官は正装することが決められていますから……」
判ってる。今は、きちんとした服装をしていなきゃいけないんだって。あたしだって子供のころに一度、経験したことがあるから。

お母様が亡くなったときは、あたしは毎日毎日泣いて過ごした。
どこからこんなに涙が出てくるんだろうなあって疑問に思って、涙を止めるために水を飲むのをやめたっけ。
パンを食べたときに喉に詰まらせて、結局すぐに水を飲んじゃったけど。

「そんな決まり、今からあたしが無くすから。着替えてきて。集中できない」
クリフトの手から書類を奪い取ると、あたしは背を向ける。
耳障りな音が軽くしたかと思うと、クリフトは部屋から出て行った。
「……どうして、涙が出ないんだろうね……」
書類には小難しい文章が書かれていた。どうしてこんな回りくどい書き方をするんだろう。頭が痛くなってくる。



お父様が亡くなった。

朝に少し頭が痛いといって横になって、そのままだった。
薬を持っていった侍女が驚きの声を上げて、みんなが部屋に駆けつけたときには、お父様はベッドの上で息を引き取っていた。
神官たちが蘇生を試みても無駄だった。寿命で死んだものに蘇生呪文はその効力を発揮しない。
あたしはまるで他人事のように、この事実を受け止めていた。
涙なんて一粒も出ない。
すぐに葬儀の準備が始まる。あたしは喪服に袖を通し、次々に訪れる弔問客の相手をする。

誰もが涙を流して、早すぎるお父様の死を悼む。
どうしてあたしは涙が出ないんだろう?
お父様のことは大好きなのに。お父様に二度と会えないのに。言いたいことが色々あったのに。
まるで他人事みたい。

正装した神官たちが、お父様の葬儀を滞りなく進めていく。
『早く終わってくれないかな……』
あたしはそんなことを考えていた。
お母様のときは、埋めちゃ嫌だ! なんて言って、神官たちを困らせたっけ。
そんな懐かしい思い出が目の前に鮮明に浮かび、ちょっと恥ずかしくなって小さく笑った。



お父様のいなくなった城の中は、とても静かで……なんていうことはなかった。
みんなが忙しく動き回り、とても騒々しい。
そんな中、小さな金属音があたしの耳についた。
「姫様」
クリフトは神妙な面持ちであたしの顔を見る。あたしがあまりに平然としているのを不思議に思ってるみたい。
「戴冠式の準備を進めなければなりません」



そうか……あたしがあの音が嫌なのは、この言葉と一緒に聞こえていた音だからだ。



「クリフト……それ、今、あなたと、しなきゃいけない話なの?」
「え……」
あたしは無表情のままクリフトを睨みつける。あたしの迫力にクリフトが一歩下がった。
「あのね。あたしはお父様を亡くしたばっかりなのよ。クリフト、あたしに慰めとか労いの言葉ひとつかけたっけ? それに、そんな重要な話はクリフトじゃなくて神官長があたしに言うべきでしょ。あたしと一緒に旅をしたからって、少し調子に乗りすぎじゃないの。最低限の礼儀は弁えてもらわないと」
あたしの言葉に、だんだんとクリフトが俯いていく。悲しそうな顔に噛み締めた唇。
「……申し訳ございませんでした……」
クリフトは深く頭を下げると、あたしの前から走り去っていった。一層大きな耳障りな音を立てて。

すぐに神官長が謝りに来た。クリフトを遣したのは自分の判断だったと。
神官長と戴冠式の段取りを話し合い、日程を決め、ひと段落したところであたしは神官長に言う。
「あたしは別に怒ってないから。そうクリフトに伝えておいて」
神官長は少しほっとした表情を浮かべて、軽く頷いた。



クリフトが寄越した書類には、戴冠式の最終確認事項が記されていた。
あたし、本当に女王様になるんだなあ……。
こんなに早く、あたしが王位を継ぐなんて思ってもみなかった。
しん、と静まり返った部屋で、あたしは書類に目を通す。
次から次へと色々な公務が押し寄せる。お父様って、こんなに忙しかったんだね……。
あたし、いい娘だったのかなあ、お父様……。
お父様の死に涙ひとつ流せないのに。





戴冠式は滞りなく終わった。

内容はあまり覚えていないけど、ひとつだけ覚えてることがある。
クリフトは、戴冠式に来なかった。
正装したサントハイムの神官たちがずらりと並ぶ中に、クリフトの姿だけが見当たらなかった。
理由を知りたかったけど、秒単位で公務が押し寄せるあたしには、そんなことを誰かに聞く余裕は無かった。

これで、あたしは、もうサントハイムの女王様……。

あたしに声を掛ける人が口々に言う。
「アリーナ女王様ー!」
「女王陛下ー!」
ああ、あたし、もう姫様じゃないのね、と思いながら、にこやかに手を振り返す。
お父様が亡くなってから、ずっとそう。こんな感じに、どこかで、あたしはあたしを冷静に見つめていた。



「あのね、ブライ、聞きたいことがあるの」
深夜、ようやく少し時間ができたあたしは、冷たい紅茶を飲みながら、ずっと抱えてた疑問をブライに問いかけた。
「なんでしょうかな、女王陛下」
ブライはあたしをからかうかのように、少し笑いながらそう言った。
「クリフトが戴冠式にいなかったのは、何で? 具合でも悪いの?」
「……」
あたしは紅茶を一気に飲み干す。小さくなった氷をひとつ口に含んで、口の中で転がす。
「……あの、バカは」
ブライがゆっくりと口を開いた。
「……戴冠式だというのに、正装して来なかった。だから、出席させることができなかったんじゃよ」
思わずあたしは口の中の氷をガリッと噛んだ。

あたしのせい……?

「女王陛下。何か、心当たりがおありですかな」
ブライが身体を乗り出してあたしに問う。今度はあたしがブライから目をそらした。
「あのクソがつくほど真面目なバカが、あんな場面で平服で来るとは皆が驚いていてな。誰が何を言っても耳を貸さなかった。もちろん、理由を聞いても答えなくてな……仕方なく、着替えないなら出席させない、ということになったんじゃ」
「……あの、バカ……」
あたしは小さな声で呟いた。もうひとつ、小さな氷を口に含んだ。



次の日も、朝から公務に追われていた。
神官たちも忙しく動き回り、あたしの耳にあの耳障りな音が聞こえてくる。
そんな中にも、クリフトはいない。

「女王陛下」
ブライがあたしに声をかけてきた。
「少し、お休みください。疲れた顔をしておりますぞ」
「平気よ」
「いや、今の女王陛下は、怖い顔をしとりますからの……そんな顔じゃ、誰も近寄ってきませんぞ」
ブライは自分の顎鬚を弄りながら、いたずらっぽく笑ってあたしの手から書類を奪う。
「さ、今日はもう公務は終わりにして、ゆっくりお休みくだされ」

そうは言われても、お父様が亡くなってから駆け足でここまで来たあたしは、いざ自由になると何をしていいのか判らなかった。
街へ行ってみると、多くの人があたしに声をかけてくる。
何よ、ブライったら誰も近寄ってこないなんて言って。
みんな、ちゃんと声をかけてくれるじゃない……。

「クリフトー」
あたしはクリフトの部屋をノックする。がたん、と小さな音がしたものの、ノックに答える声はなかった。
「いるんでしょ。開けるわよ」
クリフトの返事を待たずにあたしはドアを開けた。
「姫様……あ、いえ、じょ、女王陛下」
「もう、いいわよ、姫様で!」
クリフトに女王陛下、と言われるのはちょっと恥ずかしい。クリフトも照れてるみたいだし、もうこのまま姫様でいいや、って思った。
「すみません……」
あたしはまだ喪服だけど、クリフトは平服だった。あたしの我儘を真剣に受け止めて……何でこう融通が効かないんだろう。
「あの、姫様。あ、いや……えっと、姫様」
もう、呼び方ひとつとっても融通が効かない……。
「先日は申し訳ございませんでした。姫様に馴れ馴れしい態度をとってしまい……」
何だろう。あたしが言ったことなのに、クリフトに言われると腹が立つ。
「もういいから、そのことは。それより、神官としての業務をきちんとこなして。クリフトがいないせいで城は大変なんだから……。服、いいから。ちゃんと正装してきて……」
何だか判らない腹立たしさに、あたしは畳み掛けるようにクリフトに言った。クリフトは、はいともいいえとも言わず、背を向けてお茶の仕度を始めた。
紅茶と、あたしの好きなクッキー。久しぶりのお茶の時間。

クリフトが入れてくれた紅茶を口にしたとき、急にあたしの目から涙がこぼれた。

「ひ、姫様!?」
「あ……ご、ごめん、何だろ……」
あたしにも判らない。涙が溢れてきて止まらない。クリフトはただおろおろするばかり。
「ごめん、ごめんね……あたし、我儘言って……。違う、違うの。クリフトは悪くないんだもん……」
クリフトがあたしにハンカチを手渡す。そのハンカチをひったくるように受け取ると、あたしは声を上げて泣き出した。
「うわあーん!!」
今まで出なかった涙。それが、急に堰を切ったように溢れてくる。
「お父様、お父様あー!!」
そんなあたしを、クリフトはそっと抱きしめてくれた。
そういえば……お母様が亡くなったときも、泣きじゃくるあたしをクリフトが抱きしめてくれたっけ。
ああ、あのとき、クリフトが戴冠式の話をしたとき。あたしは、クリフトに優しくしてもらいたかっただけなんだ……。

クリフトが入れてくれた紅茶。それは、あたしの安らかな日常の象徴。
今まで気を張って、頑張って、女王としての役目を果たそうとして、お父様に笑われないようにしなきゃって。
そうやって張り詰めていた糸が、クリフトの紅茶で切れちゃったんだ……。
気づかずに逃げていた現実に、日常に、戻ってきちゃったんだ……。

「落ち着きましたか、姫様」
クリフトがあたしに囁いた。優しい、甘い声。なんて安らげる声なんだろう。
「うん……」
「疲れているのでしょう。今日はゆっくりお休みください」
クリフトはあたしを抱きしめたまま、耳元で囁いた。
「このような、馴れ馴れしい……失礼を、お許しください」
「ごめんね。ありがと……。いいの。クリフトは、今までどおりでいて。お願い……」
「判りました」
クリフトはゆっくりとあたしから離れる。真新しいタオルを一枚、あたしに差し出した。
「これで、お顔を洗って、今日はお早めにお休みください。私も明日から、城に戻りますから……」
あたしはタオルを受け取って、ゆっくりと椅子から立ち上がった。



「女王陛下。お顔が優しくなりましたな」
翌朝、ブライが嬉しそうに声をかけてきた。
「そーお? あたしはいつもこんな顔だけど?」
そんな他愛もない会話をしているところに、小さな金属音が聞こえてきた。
「姫様、おはようございます」
「あ、クリフト」

耳障りだったあの音が、心地よく耳に響いた。
クリフトが動くたび、あたしの耳に心地よい小さな金属音が聞こえてくる。



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